mixiユーザー(id:5343821)

2020年08月02日14:14

150 view

グレート・ギャツビーの翻訳について(1)

何年か前に、フィッツジェラルドのグレート・ギャツビーを原書で読むことにはまっていた。
英語が上達したい気持ちと連動して、頑張って読んだものである。文章やイメージが猛烈に美しい。
そこで、
・英文は構造がしっかりしていて、悩むところがあれば基本的にこちらが文法知識がないので、感覚的に読み飛ばすのでなく、きちんと考えるべき
という信念を持ったりした。

手元にあった、古い野崎孝訳は、特に会話のところで、イメージがかなり古臭く違和感がある。読みにくい。字も小さい。昔の英米文学通は、よくもまあこんなので読書してたなと感心する。それか、マルクスの資本論や吉本隆明の共同幻想論とかと同じで、1960〜70年代の若者は、持ってはいたが読んだことはなかったのかもしれない(笑)
この小説を人生一番と断言する村上春樹訳が出て、もともとは村上春樹の「ノルウェイの森」にグレート・ギャツビーが出てきたから関心を持った縁もあるし、愛蔵版のでかいやつで持っている。
これはさすがに読みやすいが、ところどころとても湿っぽく感傷的になる。村上春樹は、デビュー当時は「四畳半フォーク」的な日本文学の私小説のジメジメ感を一掃する、ドライで硬質な文体で鳴らしたものだが、本質はとても感傷的なのかなというのが、この訳でよくわかる気がする。
2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する