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2020年07月26日05:08

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幕末の蝦夷を震撼させた「アイヌ人骨盗掘事件」と大国イギリスを相手に闘った幕臣奉行

 幕末の北辺の箱館(現・函館)に、気骨ある幕臣がいた。名は、小出秀実といい、当時、箱館奉行を務めていた(写真=箱館奉行所復元建築、ただし小出が奉行を務めていた時よりは新しい)。

◎硬骨漢、箱館奉行の小出秀実
 開国間もない時期は、日本にやって来た外国人が、進んだ文明と武力を背景に日本と日本人を見下し、勝手し放題に振る舞った時代でもあった。日本人は、一部の攘夷派浪士以外、外国人には卑屈であった。
 そんな時期、あろうことか、蝦夷の先住民アイヌの墓を暴いて遺骨を盗掘し、海外に持ち出そうとしたトンデモない事件が起こった(「アイヌ人骨盗掘事件」=一部は実際に持ち出された)。
 箱館奉行の小出は、祖先の骨を戻して欲しいというアイヌの訴えを聞くと、直ちに行動を起こし、強圧的で、後には白を切り通す在箱館イギリス領事館員たちを相手に、真相究明と盗難遺骨の返還、被害アイヌへの補償を求めて一歩も引かない態度を堅持し、1年後に事件を解決した。
 ただ治外法権のため、実行犯も首謀者も逮捕はできなかった。

◎イギリス領事館員がアイヌの墓を暴き、遺骨を盗む
 事件は、慶応元(1865)年の9月と10月に起きた。箱館のイギリス領事館員が、同国領事のフランシス・ハワード・ヴァイス(写真)の命令で、箱館北郊の2個所のアイヌ墓地を荒らし、人骨を持ち去ったのだ。
 最初に発覚したのは、後で起こった落部村の事件である。当時、村には天然痘が流行していたため、アイヌたちは一時的に村を捨て、山に避難していた。その隙をつき、イギリス領事館員のトローン、ケミッシュ、ホワイトリーの3人は、墓地を暴いて人骨13体(主として頭蓋)を掘り出し、日本人使用人を使って、箱館に持ち帰った。
 子どもたちの話からこの事実を知った村人は、日本の役付き町人に訴え、彼が箱館奉行所に訴え出たのである。訴えを聞いた小出は激怒し、さっそく訴え出たアイヌから事情聴取し、真相究明に乗り出した。調べると、この時、箱館居留の外国人の間に、イギリス人がアイヌの骨を盗掘している噂が広がっていることが分かった。
 そしてこの捜査の過程で、それより早い9月の森村事件も明らかになった。

◎治外法権、一事不再理の壁のもとで飽くことのない追及
 落部村盗掘の実行犯は、すぐに分かった。しかし、日本には逮捕権がない。折衝は、イギリス領事のヴァイスを通しであった。しかし後に判明するが、このヴァイスこそ首謀者だった。
 したがってヴァイスは最初は盗掘を否定し、後に言い逃れができなくなると、奉行の小出が3人を1度取り調べたことを根拠に、イギリス国法を基に2度目の聴聞を拒否し、事件のもみ消しを図った。
 箱館駐在イギリス領事であれば、時には高圧的にも出る。治外法権のもと、下手人3人の逮捕もできない中、小出は粘りに粘り、手伝いをさせられた日本人の小使を逮捕して自供を引き出した。
 小出の倦むことのない探索の末、やがてイギリス側は窮地に陥り、その結果、館員エンスリーの家に隠していた遺骨13体を返還し、下手人3人を領事館内に禁固のうえ領事裁判に付すること、さらに被害に遭ったアイヌへの賠償金を申し出た。
 ただイギリス側の3人の処置が軽く、賠償金もあまりにも少額だったので、小出は承服しなかった。

◎日英間の紛争に
 ヴァイスはやむなく13体の遺骨を返還した。
 しかしこの時も、この1カ月以上前の森村盗掘事件で盗まれた骨は隠し通そうとした。
 盗掘は認めても、最初は掘り出した骨の臭気がひどいため、海に投棄したとヴァイスは抗弁した。しかし盗まれた骨は4年以上前の死者の骨であり、臭気がするはずはないなどと追及、ヴァイスは一時は海中から別の骨を浚いだしてごまかそうとしたが、これも小出に見破られた。
 あくまで森村の人骨(骨格3体、頭蓋1体)の返還を要求する小出に対し、処置に困ったヴァイスは、12月に横浜に赴き、横浜駐在イギリス公使のパークス(写真)に真相を打ち明けて善後策を相談する。
 こうして事件は、日英間の紛争にまでなりかかった。
 実は、森村の骨4体は、すでに船でイギリスに向けてくられていた。ヴァイスにすれば、返したくてももはや叶わなかったわけだ。

◎背景にヨーロッパでも高まっていたアイヌの起源への関心
 相談を受けたパークスは、事の重大さに驚き、国際信義を考慮し、翌慶応2年にヴァイスを箱館領事の職務から解任し、新たにガウワ−を在箱館領事に送った。
 この件にしがらみのなかったガウワーは、着任すると直ちに盗掘に関与した領事館員を処罰し、骨は既にイギリスに送られているが、到着し次第、日本側に返還することを約束するなどして、事件の決着を見た。
 ヴァイスが、なぜアイヌの骨を盗掘したか――。当時のヨーロッパにもアイヌが本土の和人と異なることが知られ、その起源が関心を呼んでいたことがある。
 それにしても極秘裡にアイヌの墓をあばき、骨を盗掘するなどの不法を民間人でないイギリスの公務員=外交官が企画し、実行するなど、いかにも当時の大英帝国の植民地主義意識がはっきりした事件だった。

◎大国相手に屈することなく事件を解決した快挙
 ただ大国と先進的文明国を傘に時には威圧し、時にはごまかそうとしたイギリスのヴァイスに屈することなく最後まで筋を通し、最終的に骨をすべて返還させ、被害アイヌに賠償金まで出させた幕府役人の小出秀実に、僕は深い敬意を覚えるのである。
 今の日本の外交官や政治家で、このような気骨ある人士はいるだろうか。騙されたり、脅されたりすれば簡単に矛を収めるような人たちばかりのような気がするのである。

注 容量制限をオーバーしているため、読者の皆様方にまことに申し訳ありませんが、本日記に写真を掲載できません。
 写真をご覧になりたい方は、お手数ですが、https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202007260000/をクリックし、楽天ブログに飛んでいただければ、写真を見ることができます。

・昨年の今日の日記:「マフィア企業、共産中国のファーウェイは通信機器を通じて個人情報収集か、また制裁下の北朝鮮に通信網構築の犯罪;追記 立民・山岸の天罰の落選」
・昨年の明日の日記:「樺太紀行(36);コルサコフの稚内公園のネヴェリスコイの像と稚内との友好都市記念の碑、ウクライナ料理店へ」

追記 所用で明日は休載します。
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