東関東では梅雨本番でもあり、季節も季節で、更に新型コロナウイルスでまともな人は外出も憚る状況ゆえ、ちょっと余興を入れようかと思う。
これは知り合いの池田さん(仮名)からお聞きした話である。
池田さんは学生時代、オートバイとカメラが趣味で、カメラ片手に走り回っていたという。ある年の夏休みに同じ学部の先輩と廃墟旅館の撮影に出かける事になった。
昼過ぎに件の旅館の入り口に着いた。池田さんの先輩は何度か来たことがあるようで、藪や枝を手慣れた様子でどんどん奥に入っていく。玄関付近の入口から何とも言えない嫌な臭いがした。
・・・この手の話に詳しい人であればお察しがつくだろう。
そう、あの臭いだ。
池田さんの先輩は「以前はこんな嫌な臭いはしなかったよ。」と云い、慣れた足取りで更に廊下を進んでいく。臭いはどんどんきつくなって来る。最早池田さんも彼の先輩も「確信を得ていて」、とある部屋を覘くと・・・。
顔こそ伏せているが、矢張り人が俯せで横たわっていた。勿論もうこの世の人ではない。
死後一週間までは経過していない感じだ。
後はご想像にお任せする。
足元を見ると折った紙が置かれていた。池田さんは申し訳ないと思いつつも開けて読んだ。そこには人生の反省、悔いがたくさん綴られていて、人生に疲れた・・・と書かれていた。遺書のようだ。
死に至るまで色々な苦労が重なったのだろう。池田さんも先輩もやりきれない気持ちになってしまった。
臭いのきつさから逃れるため、一度バイクまで戻り、警察に通報した。先方は30分ほどで到着するとのことで、待っている間、見たものが見たものだったこともあり、会話も無く、2人はタバコに火を点けて到着を待つことに。
先方の云うとおり、パトカー二台とバンが一台、サイレンを鳴らして到着した。
現場検証と事情聴取。
最後はお決まりの説教。過去には偶にだが出頭命令も。目的は兎も角、不法侵入には違いないのだからね、と言われた。結果として仏さんの発見につながったので、今回は軽いもので済んだ。
シートを被された仏さんがバンに運ばれるを見て、二人は合掌して見送った。
一通り済んで、先輩が
「せっかくここまで来たんだ。海辺を走って美味しいものを食べて帰ろうや。」
と云うので、海辺の道を走り、道の駅で海鮮丼を頬張りながら、先輩が
「昌(まさ、池田さんのこと)、遺書の最後の方にお前の家の近くの地名が出ていたよな?」
「ええ。あすこは有名な酒造があるんですよ。遺書にそこの酒が最後に飲みたかった、と書かれていましたね。」
「そうか。遺書に出て来るくらいやから、余程そこの酒が好きやったんやろな。」
池田さんは少し考えて
「・・・そうですねぇ。今度来た時は供養の意味でお供えしましょうかね。」
「そうやな。何かやりきれん遺書やったもんな。」
ランチの話題としては相応しくないのかもしれないが、後日お供えすることに決めた。数日後、お酒を用意し、先輩のクルマで廃旅館に行くことになる。ここの酒造は学生の身では結構いいお値段。それでも大吟醸は買えないけど奮発して純米生酒を買った。
★お供え用のお酒は大吟醸は不適です。大吟醸は高級ですが、米が磨かれすぎているからです。お供え用は純米生酒で。★
廃旅館に着き、仏さんが横たわっていた部屋に着くと、用意した花束、そしてお酒は升いっぱいに入れる。瓶は蓋をしてお供えした。
その日は余り寄り道もせずに帰宅した。
連日色々あったので、寝入ってしまった。その晩池田さんは不思議な夢を見た。
初老の男性が頻りに嬉しそうに頭を下げる夢だった。翌朝、夢の内容が鮮明だったので覚えていた。
「あの時の仏さんかな・・・。不思議な事もあるものだな。」
と朝食を摂っていた。すると先輩から着信があった。何事かと思い、スマホを取ると、
「昌、起きとったか。お前、ヘンな夢を見んかったか?」
池田さんは直感した。あの夢だと。
「もしかして、おっちゃんがずっとお辞儀をする夢ですかね。」
「それや!!まあ、それ以外何もなかったんやけどな。」
「僕も同じ夢を見ましたよ。お供えして良かったのではないですか。」
「そやな。まあ、そういうことにしとこか。」
不思議な事に二人とも同じ夢を見ていたのである。でも池田さんは好い気分だったという。
それから数年後、二人はオートバイのキャンプツーリングで再度この旅館を通りかかった。当初予定にはなかったが、
先輩が行ってみようかと言い出し、急遽入口に停めて中に入った。例の現場だ。
現場は朽ちて土になりつつある花束と黒ずんでオガ屑に塗れた一升ますが置かれていた。供えした一升瓶も。ふと気になって一升瓶を見ると・・・。
数年間放置されていたから、埃や砂を被っているのは当然なのだが、中身がない。最初はホームレスが飲んでしまったのかと思ったが、瓶が動いた形跡は全く無いのだ。
「これは・・・いやあ、まさか」
と二人は驚いて顔を見合わせたが、瓶を元の位置に戻してその場を後にした。
近くの道の駅で休憩し、さっきのことを思い返すと、少しうれしい気分になった。仏さんにあのお酒を飲ませてあげることが出来たんだなと。その後道の駅で地酒を三本購入し、うち一本をまたお供えに引き返した。
その夜、キャンプ場でテントを張り、焚き火をしながら二人が道の駅で買った地酒をちびりちびりとやろうとしていると、焚き火越しに誰かがいる気配がした。はっと顔を上げるとそこには誰もいない。近くには別のキャンパーが見えるだけだった。しかし心なしか温かいものに包まれたような気がして、自然と笑みがこぼれた。先輩も言われなくても何かを感じていたようで、二人で顔を見合わせて笑った。
「乾杯!」
と言い合うと、グラスに別の人の何かがカチン、と当たった気がした。その日は何かとても穏やかな心地で飲み明かし、就寝することが出来た。
旅を終え、自宅に戻って荷物を整理していると、あの時買った酒が出て来たのだが、全く減っていなかった。思わず池田さんはニヤッと笑い
「結局飲んだ積りだったが、あのおっちゃんは飲んでいなかったかもしれないな。律儀だな。」
と思った。
今はこの廃旅館は解体されて存在しない。だが、その後も何度か通るたびに顔がほころぶのだという。
以上が知り合いの池田さんが経験した、不思議な体験談でした。
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