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2020年06月15日08:35

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キリシタン紀行 森本季子ー147 聖母の騎士社刊7

天草・歴史の幻影ー11

 戦後、歴史と観光を結びつける気運が高まった。ここ城山公園に総合記念碑的な「殉教戦千人塚」が造られたのが昭和三十七年(1962)。カトリック側では島原・天草の乱を殉教戦とは言わないが、いつの間にかこのあたりでは、そのように呼んでいる。
 眼前にある塚は高さ三メートル、半円形の石積で、上部に「殉教戦千人塚」と刻まれた大きな自然石がすえられている。かって、敵味方として戦った者たちが天草の土と化して三百余年、天草の乱・木戸戦を偲ぶものとして観光客の足を引きとめている。
 実はこの千人塚の裏側に「船之尾の古碑」が小さく忘れられたようにたたずんでいる。碑面に〈地蔵大菩薩、中古ヨリ口碑アリ、時ノ人曰ク千人塚、安永二己七月日〉とある。五十センチほどのこの古碑が、目を留める人により多く天草戦を語りかけるのではなかろうか。

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