mixiユーザー(id:64140848)

2020年06月12日11:43

92 view

文学は死を簡単に描きすぎなのではないだろうか?

 私は幼い頃、水の中でおぼれかけたことがあって、それが今でも大きなトラウマとなって残ってしまった。それで、ドラマや小説で入水シーンがでてくるとどうしても平静ではいられなくなる。水中で苦し紛れに呼吸してしまう連想におそわれて恐怖を感じてしまうのである。

 平家物語は日本文学における古典中の古典とも言うべき名作であるが、私に言わせれば、人の死を平坦に描きすぎているように思える。「人間はそんなに簡単には死ねない」と私は考えてしまうのである。現実の人間の往生際がそんなによいとはどうしても思えない。逆に言えば、滅びの美学というのは人々の往生際の良さへのあこがれではなかろうかとも考えられる。

 「壇ノ浦」では優柔不断な平宗盛に比べて、「見るべきほどのことは見つ。」 と述べて悠然と入水する平知盛を賛美するかのように記されている。幼い安徳天皇に、「浪の下にも都の候ぞ」 と言い聞かせてともに入水する二位の尼も同様だが、平家物語ではいとも簡単に人は死ねるかのように描かれている。「浪の下にも都があります。」 と聞かされたところでいかほどの慰めになるだろうか? 水中に身を投じたその直後の瞬間から、すさまじい苦しさと恐怖に襲われてそれどころの話ではなかろうと私は想像してしまう。

 平家物語は「滅びの美学」ということがよく言われるが、 人の死はそんなに簡単でもないし美しくもない、というのが私の個人的見解である。一族郎党が入水する中、総帥たる宗盛は死にきれずに泳ぎ回っていたところを引き上げられ捕虜となってしまった。 私個人はむしろそんな宗盛の方に人間味や共感を感じてしまう。

 自分でも、身もふたもないことを述べているという気がするが、世の中にはこんな偏屈なものの見方をする人間があってもよいと考えている。
6 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する