mixiユーザー(id:13098104)

2020年05月23日10:46

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失われた10支族の末裔

映画撮影所があることで有名な京都の太秦(うずまさ)、、。

これ普通に読んだら「たいしん」だろ?何故これで「うずまさ」なんだ?

と思ったこと無い?

京都って桂川がしょっちゅう氾濫する人が住むのに適さない盆地だったんだけど、葛野大堰(かどのおおい)というダムを作って洪水を防ぎ、農業用水を確保した。

その土木工事技術者の集団が渡来人の「秦氏(はたうじ)」だったのだ。

秦氏は土木工事の他に機織りの技術も持っており、この地に住んだ秦酒公(はたの さけ の きみ)が絹を雄略天皇に献上した。

絹がうず高く積み上げられていたため雄略天皇から「禹豆満佐=うずまさ」の号を与えられ、太秦の漢字を当てたという説がある。

(うずは分かったが、まさはどこから来たんだ?)

何故その漢字を当てたかと云うと、太には拠点という意味があり、秦氏の拠点という事で太秦という漢字になったという← 仮説


もう一つの説は、アーク=神の箱(モーゼの十戒を刻んだ石版が入っている)を運ぶのを護衛したダビデ王の側近のウザなる人物。

”運ぶ”をヘブライ語でマサと言う事から、ウザがマサんだ箱を経由した場所と云う説。

「何故唐突にダビデ王なんかが出てくるんだ?」

と思うでしょ?


実は秦氏は遡ればイスラエルの失われた10支族ではないかという説がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F10%E6%94%AF%E6%97%8F

トンデモ説みたいに思えるが、秦氏が大いに建設に関わった京都に残る様々な風習や言葉を考えると、全くのデタラメとも思えなくなってくる。


http://hikyouken.com/2017/06/09/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%A8%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A4%E8%AA%9E%E3%81%AE%E9%A1%9E%E4%BC%BC%E6%80%A7/

















『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔で応神14年(283年)百済から日本に帰化した弓月君(融通王)などが祖とされる (WIKIPEDIA)

秦氏の秦は秦国の事らしい。

そして秦の始皇帝の肖像画を見ると西アジア人特有の鷲鼻であり、「目が青かった」と言い伝えられている。

http://www.historyjp.com/article.asp?kiji=72
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