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2020年05月23日07:39

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『蓬萊橋』  伊東一如歌集

『蓬萊橋』  伊東一如歌集

伊東さんはカメラをよくする人である。先年には写真に短歌を配した小冊子を頂いた。大胆な構図のあざやかな自然の風景写真に自作の歌を載せて、歌はこよなく合って素晴らしい一冊であった。
今回、歌集を頂くと写真入りでいかにもすみずみ心配りのある美しい一冊が出来上がっていた。

  雪をはらみ鉛色なる空をみれば気もそぞろなり「おう」と声出づ

  「あゝけふもいつしようけんめいふる雪」と擬人法もて母はなげきぬ

  指呼の間の五重塔の見えぬほど蓬萊橋にふりしきる雪

 雪、というとき誰にも思いがある。その自分の思いも重なって巻頭の雪の歌から続く雪の光景を懐かしく読む。
「おう」という掛け声が効いている。それはこれから開かれるこの歌集の入り口にふさわしい誘われ方である。
 「」内の言葉が面白い一首。「擬人法」は言わないでもよかったのではないかと思う。
 三首目、五重塔と蓬萊橋をいいながら見えるのは激しい雪が。モノクロの写真のような景色が目の前に。

  在京の者らつどへばたちまちに郷(くに)訛りにて話す友 憂し

  半世紀ちかくを異土に経りし身は死したるのちは故郷(こきやう)へと思(も)ふ

  ふるさとに在りしころより根無し草(デラシネ)はわがあくがれし境涯なれど

  どこまでも堕ちてゆきたき日もありぬ『安吾全集』校閲係も

  伊東さんは矛盾を抱えた人である。思考と所業が一致しない、引き裂かれている。いや、そんなことはないだろう。あの落ち着いた様を伺えばとっくに決着はついている。しかし、胸の中のもやもやを表出する歌においては現れて来るのだ。
 石川啄木は停車場に故郷訛りを聞きにゆくのだが、伊東さんは「訛り、憂し」という。なれど生きている内は帰らないけれど死したるのちは故郷へと激しいノスタルジーを詠っている。
 「根無し草」に憧れながら、まったく真逆のような「校閲」という一画、一点をないがしろにできない生業の人である。歌においてものその用意周到さは確かに表されて、「わがあくがれし境涯なれど」の「ど」にあり、「ゆきたき日もありぬ」の「も」にある。「ゆきたき日のありぬ」と「の」が普通のところを「の」とは言えずに「も」という。正直なのである。この歌、塚本邦雄の皇帝ペンギンの歌を思わせる。

  物を捨てぬ人なれど母は大方の記憶は捨てて晴れやかに笑む

 ゴミ袋など買うものか、といった母、「捨てぬ、捨てて」母は切ない!が充分に詠われている。息子と母、あの大きなガタイで伊東さんは女性に優しい。

  谷戸ふかき山かげにたつ五輪塔鬼灯(ほほづき)の実の五つ六つ七

 写真家の眼がある。うつくしい。

  石仏のまなざしやさしみづからの肩にやすらふ蜥蜴見やりぬ

 そういえば仏像の眼は切れ長、小首をかしげてふと流し目のように肩を見ている、いかにも有りそうな楽しい光景を描き出した。伊東さんはあまり想像とか仮定での歌を詠まない。知的な取りさばきの人である。しかし、このように軽やかな歌も好感が持てる。

  駆け来たる騎馬をねらひてシャッターを切ればその音銃のごとしも

 臨場感のある歌でまさに音が感じられる。意外な気づきが歌になった。

  ヴィヨンにもヴィヨンの妻にもほどとほきふたりでつつくきりたんぽ鍋

  全くほど遠きと思われる。しかし東北発祥の鍋を食べていると物悲しくデラシネの思いがおきる。

  若き日の妻の面影やどしたるをみなごあればひたみつめたり

  「見るだけの妻」となりてもにのうでの白きにまどひ つとふれてみる

  風知草あるかなきかの風にゆれこころふるへる汝(なれ)とこそ知れ

 ……。

  正座して両手を添へて襖あけ姿消したし世を去(い)ぬる日は

 古武士のよう。

  夏休み 結膜炎の眼をあらひならんでかへるあねとおとうと

 私が子供の頃、結膜炎が大変はやった。私の町では眼医者がなく、バスに乗って繁華街を通って眼を洗いに通った。今思えば目薬をちょっとさして硼酸であらうだけ、それなのによく通わされた。懐かしい風景。「あねとおとうと」に共感する。

 本稿は四つの章に分かれている、緩みなく、もうすこしばらけていてもよかったのではないかなどと思った。また、繊細な性格の表れとして、歌は正確に伝わるようにという心配りと思われるが、ルビが多い。しかしながらそれは読者を信頼していない。読者においそれと任すわけにはいかないという気持ちが見える。もっと歌を手放してもよいのではないかと思う。

 ユーモアがあって真面目、「校閲室から」にはほおおっと思い、「わが無知は」も面白かった。まだ語りつくせないものあり。そうそう日頃の辛口批評も忘れてはならない。どこか親しい存在で言いたいことを並べてしまった。伊東さんはカメラも上手、文章も得意の人である。歌もここに良き結実をみた。
 おおいにこの春を謳歌して増々の発展を祈ります。









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