喚起的生の先立力は場所、
環境的な場所性の性ならば、
地母的な存在 は すべてをうけとめ
生む ルソーが帰る場所
最後、ルソーも消える。誰かわからない。ルソー経済学というものも、気づかれないでいる今は誰。
国もなくなるなぁ。特になくてもよくなる。
それが、言語の起源の生成だったら、おもしろいな。
聖なる言葉が
全く違う意味として、伝わることがありますね。
言語とは、そういうものです。かな。
たとえば、すごく聖なる言葉なのに、
一番卑猥なものとして聞こえたり、だね。
言語の性質には、
そのような聞こえ方、とらえ方があるんだと、
告げられました。
性なる次元がやはり生命の源だから、
言葉には、それと関わる
ということかな。
高次のようで、低次も機能している。
低次な下俗なもの、下半身を
めぐっていたり、
はたまた聖なる世界を
司ったりだね。
それがあるけど、どちらか片方しか、ないようにしたんだね。それが正義だと。
そうして、きちんと分けたから、
正しいことだけが、一義性を持って、
聞こえ出してきた。
古代では卑猥も聖なるものも、
分けられていなかった肉食的な要素があったかな。
言語はもともと、聖なるはずなのに、卑猥に聞こえたり、たたかって人間が高次だけに移行しようとしたりして、もともとは聖なるものと卑猥なものが
未分化で、古代的な伝わり方は今でもしているというわけですね。
言語のために、下俗を徘徊し、
エロス的な人間が
学習すること条件で
ありますれば
古代の解放なんですね。
神話にはすなわち、
古代の言語の状態がまさにある。
みたいなね。
言語の起源が最も卑猥なもので、
その卑猥なものへの回帰が
生きる言葉になっていったとしたら、
エロ、エロス、いやらしいもの、
最も卑猥なものが、言語の起源ではないでしょうか。当たっているかなぁ。
快楽言語起源説は、やはり、古代の卑猥なものと聖なるものと、
両方ある言語の性質がはじまり、最も卑猥な声、状態、神話、
神を感じるあれ、が、言語のはじまりだと、
私は思う次第でありますれば、
古代人のエロはかなり、すばらしかったですね。
最低から、最高へ。
古代の言語は、
卑猥の最高から。
やらしい単語には、
言語習得には、つながりやすい、
性質がありますが、古代のつながりと
膨大な無意識があるから、つながるから、では、ないでしょうか?
最低も繰り返せば、最高になる。
言語はここをはじまりとしているのじゃないかしら。
みたいな噂、くらいにして。
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