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2020年05月14日12:03

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眩人(げんじん)その2

(玄ボウの「ボウ」の字が表示できないので「玄ボウ」と書く。「ボウ」の字は日の横に方を書いた「日方」なのだがMixiではどういうわけか表示できない。)

李密翳は玄ボウに連れられて平城京まで行き、宮廷人に紹介される。
ときに玄ボウの命令で宮廷人の前で幻術や雑伎を披露して驚かす。

京へ帰りついた玄ボウと真備は時の権力者”橘諸兄(たちばなのもろえ)”に徴用され朝廷内での地位を築いていく。
玄ボウは聖武天皇の母親である宮子大夫人が聖武天皇を産んだ後、病で臥せっているのを看病して治す。
(どうやら宮子大夫人が鬱病だったらしく、この物語では李密翳が調合した麻薬入りの薬を玄ボウが処方することで快方に向かわせる。
 薬のおかげで宮子大夫人は精神も肉体も取り戻していく。
 さらに薬のとりこになった宮子大夫人は玄ボウと怪しげな関係になっていく。)
(宮子大夫人はその薬を聖武天皇の妃の安宿媛(あすかべひめ=のちの光明皇后)にも勧める。こうして玄ボウは光明皇后もとりこにする。
(この本では光明皇后とも関係があったように書かれているが、その話はちょっとおかしいのではないかと思う。)

李密翳が畑などを探訪していたとき大麻畑を見つける。そこで大麻草をもらい受けて持ち帰り精製してみる。
”胡のものより効き目は薄いが穏やかな効き目でこちらの人には会うだろう”とこれを使って薬を調合する。
(古代の日本では綿が入ってくるまでの着物は麻だったので結構広範囲に栽培されていただろうと思う。)

光明皇后が後ろ盾となって藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ=のちの恵美押勝(えみのおしかつ))が台頭し橘諸兄の権力に陰りが出てくると玄ボウと真備は九州に左遷される。
(光明皇后と愛人関係だったならば左遷されたりしないだろう。この本では光明皇后が愛人を玄ボウから仲麻呂に乗り換えたような話になっているがこれもちょっとおかしい。)
玄ボウは九州に左遷された次の年に奇怪な死に方をする。
(続日本紀では玄ボウは雷に打たれて首が飛んだと書かれている。歴史学者の間では藤原広嗣の残党による暗殺ではないかと言われている。しかし著者(松本清張)はあまりに宮廷の内情を知りすぎていたため仲麻呂に殺されたとしている。)

密翳は師の玄ボウの権威に陰りが見え始めたとき、師を見限り唐に帰ることを画策する。
ちょうど新羅からの使者が来ており、その使者に帰りに自分を連れて行ってくれるように頼む。見返りに自分が知りえた日本の情報を提供する。
百済の船の水夫に化けて乗り込み新羅まで行く。さらにその先唐まで送ってもらう。
10年ぶりに唐に戻ったが、その昔自分を雇っていた胡人の顔役はすでに死んでおり、密翳はその跡を継いで商売を始める。
その後日本からの遣唐使が来たとき(752年)偶然留学僧が自分の店を訪ねてくる。その留学僧からその後の日本のありさまを聞く。
遣唐使の一員として吉備真備が2度目の入唐をしていることを聞くが、昔真備から嫌われていたことを思い出し、その留学僧に決して自分のことを話さないように口留めする。
さらにその後の遣唐使(何年だか不明)に随行した留学僧からその後の日本の情報を聞く。

密翳が60歳になったことに気が付くところで物語は終わる。

次へ続く。


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