私の奄美紀行ー82
ハブに噛まれた求道者、オクダカツコが運び込まれたのはその頃だった。氷を当てて冷やし、ジープで名瀬の病院に運んだ。二週間で治った。奇蹟のようだったよ。彼女がもし死ぬようなことになったら迷信深い村の人は、キリスト教のせいにしたろうね。
私はそれを記事にしてアメリカの雑誌に送った。それを読んだ人たちから二千ドルも寄付があった。それで大棚教会を作った」
献堂は昭和36年(1961)7月。現在の教会である。ルーシン師が大棚にいたのは一年だけで、翌年10月には古仁屋に転勤している。
「転勤する時には信者八十八人、求道者八十人ぐらいあった」
宣教師の面目躍如たる経験談である。
ルーシン師の話の中に度々ゼロム師と同師の活躍が出てきた。西安室とマリア観音はゼロム師と関係が深い。「奄美に行ったらゼロム師に会うように」と田代不二夫先生からも勧められていた。が、残念なことに関西の病院に入院加療中であった。
奄美は二年後に宣教百年を迎える。ルーシン師は目下記念誌の編集に取り組んでおられる。病床のゼロム師の談話(英語)を数十巻のテープに納め、文字に起こし、更に日本語に翻訳中とのこと。記念誌発行が待たれる。
ルーシン師とは午後もう一度お会いすることになった。
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