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2020年03月18日09:34

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キリシタン紀行 森本季子ー71 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー71

●和光園の使徒 パトリック師
 和光園とカトリックの関係はいつから始まったのだろう。ここに福音を伝え、聖堂を建てたのは誰だったのか。
 奄美和光園が国立療養所として開設されたのは昭和18年(1943)4月。太平洋戦争がようやく激化し、山本五十六連合艦隊司令官の戦死と月を同じくしている。戦争末期にはこの療養所にさえ焼夷弾が投下され、見張り中の職員が機銃掃射の犠牲となった。そして終戦。食糧難は病者の上に厳しくのしかかった。
 昭和21年、二・二宣言により北緯三十度線以南は行政分離。臨時北部南西諸島に繰り込まれた大島へ、戦後最初の宣教師として入島したのはグアム島管区のカプチン会司祭だった。昭和22年9月14日、在島信者の熱狂的歓迎の中で上陸したのはフェリックス・レイ、オーバンの二師。和光園の記録によれば、同年9月の項に
 「カトリック司祭四名来園」
 とある。和光園とカトリックの最初の出会いである。更に翌年1月、「カトリック教会より、プロミンが寄贈され患者七名に使用された」
 プロミンはアメリカで発見されたハンセン氏病の特効薬で、23年頃から日本でも製造されるようになった。患者が飢えるがごとく待ち望んだ新薬である。
 「カトリック教会司祭より仔豚一頭が贈られてこれが園内養豚部の礎となった」という記事も昭和25年(1950)4月に見える。
カプチン会司祭たちの和光園慰問は記録以外にも度々行われたはずである。

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