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2020年03月04日05:43

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3月4日

岡田啓介首相が議会で「天皇機関説」への反対を表明:昭和10年のこの日。天皇機関説とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルク・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、天皇主権説(穂積八束・上杉慎吉らが主張)などと対立する。
天皇機関説事件とは昭和10年に起こった事件。軍部の台頭と共に国体明徴運動が起こり、思想・学問の自由は圧迫されてゆき、天皇機関説は国体に反するとして攻撃を受け始めた。また、同時期のヨーロッパで台頭したナチス・ドイツでは、昭和8年に、反ナチ的な人物やユダヤ人の著作に対する焚書が行われていた。天皇機関説に大きな影響を与えたゲオルク・イェリネックの著作も、イェリネックがユダヤ人であったことを理由に、焚書の対象とされた。当時の日本におけるナチス・ドイツへの関心の高まりも、結果として天皇機関説への攻撃を強めた。昭和10年2月18日、貴族院本会議の演説において、菊池武夫議員(男爵議員・陸軍中将・在郷軍人議員)が、美濃部達吉議員(東京帝国大学名誉教授・帝国学士院会員議員)の天皇機関説を国体に背く学説であるとして「緩慢なる謀叛であり、明らかなる叛逆になる」とし、美濃部を「学匪」「謀叛人」と非難、井田磐楠らと貴衆両院有志懇談会をつくり機関説排撃を決議した。菊池議員はこの前年にも足利尊氏を評価する記事を10年以上前の同人誌に書いた中島久万吉商工大臣を「日本の国体を弁えない」と非難して辞任に追い込んでいる。菊池議員はそもそも、南北朝時代に南朝方に従った菊池氏の出身で、天皇を神聖視する陸軍の幹部でもあり、また、右翼団体の国本社とも関係があった。この菊池議員の演説をきっかけに軍部と右翼による機関説への攻撃が激化する。同年2月25日、美濃部議員が「一身上の弁明」として天皇機関説を平易明瞭に解説する釈明演説を行い、議場からは拍手が起こり、菊池議員までもがこれならば問題なしと語るに至った。それでも議会の外では右翼団体や在郷軍人会が上げた抗議の怒号が収まらなかった。しかしそうした者の中にはそもそも機関説とは何たるかということすら理解しない者も多く、「畏れ多くも天皇陛下を機関車・機関銃に喩えるとは何事か」と激昂する者までいるという始末だった。(出典:今日は何の日、Wikipedia)画像は、天皇機関説事件で発禁となった『憲法撮要』。
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