mixiユーザー(id:1762426)

2020年02月16日09:22

103 view

キリシタン紀行 森本季子ー43 聖母の騎士社刊

私の奄美紀行ー6

第三期はカナダ系フランシスコ会の時代である。大正10年(1921)、奄美地区を含む鹿児島県と沖縄の宣教はパリ外国宣教会からカナダ系フランシスコ会に移管された。大正10年と言えば、大島南端の瀬戸内町に陸軍要塞が着工された年である。

 大島にとって不幸なことに、この島が軍事上、南方の要衝であった。その上、加計呂麻島との間の大島海峡は海軍の基地となる良港を有していた。加計呂麻島の薩川湾は連合艦隊をすっぽりと抱え込むことが出来た。要塞地帯というのはどこでも一般住民にとって迷惑なことが多かった。軍人が佩刀をガチャつかせ、庶民の生活を規制してゆく。要塞防備を名分にというか、国防に熱心のあまりというか、わずかなことにも人をスパイ視する。相手が外国籍なら尚更である。

 奄美で外国人と言えば宣教師である。外来のキリスト教など要塞島には有害無益と軍人の目には映じたであろう。時代は軍国調が高揚し、戦争へと向かう大正末期から昭和初期にかけてである。やがてこの島に「カトリック排撃」と呼ばれる弾圧が始まる。ついには昭和9年の宣教師総引き揚げ、実質は追放、という事態にまで追い込まれてゆく。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する