高山宏について書く材料はもうありません。しょせんは小さな存在でしかないし。
田島母子について。
「いっしょーけんめい」を売り物にしていた「お袋さん」こと田島みやこも、しょせんはメッキが剥がれました。私と西葛西で料理教室を開く約束をしいたのですが、そのマンションのオーナーからちょっとした圧迫面接を受けると、逃げ出してしまったのです。
売り物の「根性」「いっしょーけんめい」も他人に押し付けるものだけだったことが証明されました。
その後、彼女とは吉祥寺のバスで居合わせたことがあります。気まずそうに下を向いていましたが、私は無視しました。
さて、息子の田島義彦のほうですが、やがて付き合う女性ができました。
ところがデートに選んだのは、こともあろうにあれだけ嫌っていたジャズのコンサート。「高橋達也ととうきょうユニオン」というジャズオーケストラのリサイタル。
ただただ呆れるばかりです。
ただし結婚相手は別の女性。山形在住で、東京で学生生活を送った女性でした。
最後にWikiで彼の足跡を辿りましょう。
田島 義彦(たじま よしひこ)はYTS山形テレビの社員で同局元アナウンサー。1984年に新潟総合テレビから移籍し、1992年までアナウンサー。その後制作局ディレクター、報道局記者、総務局を経た後、2007年4月1日付で酒田支社長に栄転。但し、1995年から1997年の間は記者兼任でアナウンス部に再度在籍している。
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