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2020年02月14日14:21

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「大いなる笑魂」

花菱アチャコの幼少〜大正〜戦後の「お父さんはお人好し」までの話を
藤本義一さんが本人と息子さんに聴いての自伝。

明治30年生まれ(1887年)本名 藤木徳郎
福井の寺の次男だったが、
色んな事情で父は三人いた。


貧乏だが賢くて小学校では今の成績にしてオール5。
母と大阪じゅうをを転々としている時、芝居好きになり、芝居小屋に入り浸る。
バイオリンを弾く大道芸人のそばで
歌を唄ったのが受けて、近所の芝居小屋から誘われ子役で初舞台を踏むが
まだ堅気の丁稚との掛け持ちをしながらの生活。

ある程度の経験後、16歳で山田九州男(山田五十鈴の父)の劇団に入団、
そこで君は芝居より喜劇が良いと言われ、
当時流行っていた喜劇劇団に移り、たまたま相方が居なくなった相手と漫才をする
(17歳)


大正時代は漫才が非常に受けたが当時の芸人は役所に登録された鑑札が無いと営業できなかったそうで、、神戸で漫才師が普通の奥さんと駆け落ちしたりの女性問題を多々起こし、神戸市は漫才禁止令を出す。

その5年後に神戸での許可が出た頃にちょうどアチャコがデビューし、
笑いに飢えていた神戸の客の反動で花菱アチャコの漫才が神戸で大ヒットする。
4年は受けたが、そろそろ下火が見えてきて
神戸から九州まで巡業するが、
行く先々の地方の街では受けず、特に九州の炭鉱ではさっぱり受けず。

1919年(大正8年)ある劇団の中で横山エンタツと逢う。
少しの間、漫才を組むが、加入していた一座の都合と
エンタツがアメリカに行くという事で別れる。

色々な相方との漫才で受けるが、劇団の解散や相方の博打の破産も経験する。
(アチャコは酒と女だけで博打はしない。エンタツも博打はしないので気が合った)

その後、当時の新興勢力の吉本興業の息のかかった劇団に入り
吉本興業の林庄之助の目に留まるが、
花月の舞台は「まだまだ上手くなってから」とのことで
なかなか出られず。

その吉本興業、当時、漫才人気投票をする。
(AKBとおんなじやがな)

そして堅気だった横山エンタツをスカウトした吉本興業の林庄之助
が、「エンタツがあんたと漫才やれるんやったら吉本に来るいうから
どうかな」と誘われ、
1939年、エンタツ(34歳)アチャコ(35歳)のコンビが出来る。
大学出のエンタツの考える品のある洒落がはいるネタと時世を入れたアドリブの掛け合い漫才が
最初の寄席ではしゃべりだけの漫才は全く受けず、
「音楽無いんかい!」「どつき合い無いんかい!」と罵声の浴びっぱなし・
客から物が飛んでくるのもしょっちゅう、
でも半年続けた結果「もうやめようか」と思っていると
笑ってくれた客が居た。当時のインテリ高校生だった。
そこから噂になり、売れていきだす。

東京に行くが受けず。その時に同じ吉本興業所属で売れていた柳家金語楼が渡した
大学野球の切符が「早稲田〜慶応戦」でそれを見に行くと
ものすごい観客の応援で驚くが、
その野球の様子を漫才にして大ヒットしラジオとレコードで全国区になる。

1934年にアチャコが中耳炎になり闘病、
吉本興業はエンタツを別の漫才師と組ませて、舞台でのエンタツアチャコは終了するが
映画では復活する。

その最初の映画出演、当時の新興映画会社PCL(東宝)の撮影所で一か月の拘束で仕事をする、
終了後「どれくらいギャラもらえるじゃろうか」と二人で期待していたが
吉本の舞台の一か月の給料と同じで、落胆する。

その当時、山口の百足屋(むかでや)百貨店(祖は足袋屋なので百足屋)
で一日仕事がある、劇場や寄席ではないから
鑑札も要らない、破格のギャラが出ると言われ吉本には、母の墓参りでと嘘をつき、
営業に行くが警察がやってきた。 
鑑札も要らんから、と持ってこなくて怒られる。
それが知られるとマズいと偽名を使って営業したが、やっぱり吉本にバレてマスコミ沙汰になり、謹慎処分となる。
(今の闇営業の話とおんなじやわ。)

その後(1939年)
松竹の息のかかった別の興行会社が吉本の芸人給料の少なさを利用して
吉本芸人の大量引き抜きを行うとき、よっぽど吉本を出ようかと思ったが、
実父と林庄之助の嘆願と、吉本側の「一生面倒みる」という
専属契約を結んで、吉本に残る。

(その引き抜きの間を取り持った男が永田雅一、後の大映映画の社長)

戦争中は大陸の慰問などで活躍し、
映画や芝居のちょい役もするが、
1952年にNHKラジオに招かれ、
芝居の世界から身を引いていた浪花千栄子との掛け合いドラマ番組『アチャコ青春手帖』が大ヒット作となる。

話はそこまでで終わっている。

次の次のNHK朝ドラが浪花千栄子さんの生涯の話だとかで、
花菱アチャコさんが誰が演ずるだろうか、と思うが、
浪花千栄子さんのほうも松竹新喜劇を飛び出した話や
その後の話もいろいろあって、どこまで描かれるかが、
まあ興味はあるのだけど、。

小説の中で曰く

「アチャコさんはアホのように見えてアホでは無く
エンタツさんは偉そうなようで偉くなく」

1974年の頃
余命いくばくの頃に病院のテレビで若い漫才師のどつきあい漫才を観て
「こんなん漫才やあらへんわ」

と言い残す。 享年77歳。

んで、藤本義一さんの小説なので
もう、女性関係を赤裸々に描写していること至極。

アチャコさん、若い頃から、面長、一物がでかく、絶倫だったので、
未成年の頃から複数の女性との付き合いが始まり、
ある寄席の近所の、別々の料亭の中居に惚れられ手を出して
噂が立って客席に中居が鉢合わせして喧嘩する、
その仲裁を舞台からするアチャコに客は大爆笑〜。

神戸なので、外国人の旦那を持つ金持ちの女の間男になる、

有名芸者と付き合うとその芸者の実家が仁侠系の建設会社で、
そのまま居ても苦労は無いのに周りの衆からずっと見張られているみたいなのが嫌で
、やっぱり芸人の自由さがイイとのことで一か月で蓄電する。

巡業で言った先々の料亭の娘や芸者と仲良くなる、

そんなこんないっぱいの内容。
どんだけモテたかって話ばっかり。




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