一昨日は「建国記念の日」だった。
マスコミ情報では、
保守反動派が主催したイベントに1200人、
この祝日に反対するイベントには200人(いずれも主催者発表)
が集まったという。
単純計算で、
この祝日を問題視する勢力は賛成する勢力の6分の1しかいない。
でも2月11日って、旧「紀元節」、
軍国主義の支柱となった国家神道で、
初代神武天皇が即位したとされる日である。
だから軍国主義を排除しようとしたGHQは、
戦後、この「紀元節」の祝日を廃止させている。
その後、国粋主義者たちが「紀元節」の復活に動き、
それを危険な動きだとした反戦民主勢力が激しく抵抗した。
結局紆余曲折を経て「建国記念日」は
「の」を入れて「建国記念の日」にするという妥協案で成立し、
現在に至る。
もうそんな古い論戦など知る人も少なくなった。
高齢者社会だが、高齢者たちは無責任に忘れている。
大阪の教育現場は、
「建国記念の日」制定以来ずっと、
この祝日が戦争につながるものだと反対し続け、
この2月11日には人権教育の研究大会をぶつけていた。
けれども時は流れ、
教員の意識もどんどん低下、保守化、
あるいは無関心化し、
勤務が休みの日に1日中研究大会に参加するなどという、
「酔狂」な教職員は激減した。
今は大阪市でも極めて安易な形での開催となり、
それでも人権教育をテーマにした大会の参加者は、
「そういうのが好きな人」たちの集まりになり下がっている。
職員会議でもかつてあった議論は姿を消し、
上からの伝達・指示に物言わず従うというのが常態になっているのだそうだ。
この国の現状を見ると、
右傾化が進み、無関心層や諦め組、すりより組が
国民をバカにした政権を支えている。
現状追認が大好きな国民たちは、
おかしなことに対して声を挙げることも、
政治的な議論をすることもしなくなった。
そんなことをするのは「酔狂」な変人たちだけである。
先日、
アウシュビッツ強制収容所の解放75年の式典で、
生き延びた元収容者が、
「アウシュビッツは突然空から降ってくる」
と警鐘を鳴らした。
声を挙げる人、
真剣に考え、憂慮し、議論する人を、
「酔狂」な人にしているこの国にも、
そのうちアウシュビッツは降ってくるかもしれない。
少なくとも暗雲は立ち込めている。
と、ぼくは感じている。
注;この記述は極めて個人的な感覚・認識によるもので、
正確さを欠いている可能性があることは告知しておきます。
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