mixiユーザー(id:6785066)

2020年01月27日10:06

28 view

18950425 NO3509 漁隱洞と沙里院一帯の東学徒の動静報告

18950425  NO3509  漁隱洞と沙里院一帯の東学徒の動静報告
http://db.history.go.kr/item/level.do?sort=levelId&dir=ASC&start=1&limit=20&page=1&pre_page=1&setId=-1&prevPage=0&prevLimit=&itemId=jh&types=o&synonym=off&chinessChar=on&brokerPagingInfo=&levelId=jh_007_0050_0370&position=-1
駐韓日本公使館記録 7巻     五. 機密通常和文電報往復 一·二 第4冊     (37) [漁隱洞と沙里院一帯の東学徒の動静報告]
文書題目 (37) [漁隱洞と沙里院一帯の東学徒の動静報告]  
文書番号  
発信日 (午前九時五十分漁隱洞発) ( 1895年 04月 25日 )  
発信者 中佐 熊谷  
受信日 同二十五日午前十一時十五分接 ( 1895年 04月 25日 )  
受信者 井上公使  

 (37) [漁隱洞(オインドン)と沙里院(サリウオン)一帯の東学徒の動静報告]
同二十五日午前十一時十五分接(午前九時五十分漁隱洞発)熊谷 中佐井上 公使 先日来諸方へ遣わせておいた間諜(*スパイ)の通告、並びに付近の地方官の報告によると、首魁(*東学徒の指導者)リンシヨウサン、ゲンリウイチ、テイラクウンなどはすべて家族を連れて失踪し、噂によると咸鏡・平安地方に向かって潜行したのであろうという。その結果各地方とも至極静穏に帰し、人民は安堵して業に就き、日本兵の恩恵と感じているとのこと。脅迫を受け、あるいは一時の心得違いで東学党に加盟したものは地方官の説諭に服し全く帰化したもののようだ。もっとも銀坡・沙里音の近傍には小賊が折々出没しているとかの話もあるが、真の東徒ではないとのことだ。これらを考えると東徒は先ず鎮定されたとみなしてよく、再燃の心配はない見込みである。以上報告する。   

https://choson.club/destinations/nampo/ 
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する