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2019年12月22日11:10

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「夜霧に消えたチャコ」を映画のなかで若山富三郎が歌う。1969年東映カラー映画

「何か一曲やりやすか」(流し)
「そうだな。夜霧に消えたチャコっんのやってくんないかな」(菅原)
「ちょっと歌詞が…」(流しB)
「ちょっと分かんないもんで、他の曲でも…」(流し)
「おぃ、俺が歌ってやろうぜ」(若山)
「お客様がですか」(流し)
「お前さん商売、じゃまして悪いな」(若山)
「そのかわり、チップは折半だぜ」(若山)
「どうも」(流し)
「好きなんすよ、この歌は。聴いてくれ」(若山)
歌い出し俺のこころを知りながら…」(若山)

 このような流れで、若山富三郎が「夜霧に消えたチャコ」を歌いだす。流しのギター演奏で歌いだす。ご存知、彼のだみ声での歌だが、それがなかなかいける。
 映画は「現代やくざ 与太者の掟」。1969年に公開された現代やくざシリーズで、菅原文太の初主演(東宝から東映に移籍して)作品だ。
 いまは、暴力団、反社会的組織、極道として日本全国から嫌われ、その映画を作って、主人公を英雄にしてしまうなどあり得ない。だが、1970年の日米安保協約の更新を前に学生は、政府がすすめる政策に正面から反対して盛り上がっていた時期。
 なぜか、極道シリーズの映画は異常な盛況の時代だった。鶴田浩二・高倉健・若山富三郎・」藤純子、そして菅原文太が「任侠俳優」として大いなる人気を得たのだった。
 フランク永井は安定的な活躍をしていた時代である。この映画のおよそ十年前にヒットした「夜霧に消えたチャコ」が、菅原主演のこの作品で「挿入歌」として採用されている。「夜霧に消えた…」というフレーズが、恋人、親友とか身近な思いをよせる人が静かに離れていく様をイメージさせるので、使われたものと思える。
 フランク永井自身は出演していないが、全編を通じて演奏が使われたりするが、藤純子がオルガンを弾いて楽しませてくれる。藤に思いを寄せる菅原が「夜霧に消えたチャコ」とともに大切にしている。すさんだ付き合いの己の置く世界で、唯一のこころの安らぎとして。。。
 菅原の設定は「暴力団、愚連隊が街をわがもの顔に歩く新宿を舞台に、貧乏のため一家心中した家族の中でただ一人生き残り、少年院、刑務所と渡り歩いた一匹狼の男」。
 ある酒場で、若山による挿入歌が歌わるのだが、菅原と若山がはじめて顔を合わすシーンが、冒頭のセリフ。
 「何が義理や仁義だ。言うことがやることと違うじゃないか」
 菅原のある場面でのセリフだが、やくざ映画、任侠映画、極道映画のテーマがここにあるのかな、と思った。暴力とカネという底辺の本性とを、義理と人情が表を飾る。この両面が複雑に入れ乱れる。
 映画を観る観衆は義理と人情の側面に入れ込んだり、暴力とカネという自分には無縁の非日常に酔う。登場人物の主役は西部劇のガンマンと重なる勇気、度胸、揺るがない一本気に「男らしさ」を感じて惚れる。
 だが、しょせん、描く世界は現実社会の裏側。例えいくら人気を博しても、これを表で堂々と文化にしていくのは、やがて否定されていく。日本の社会を席巻したブームは当然沈んだ。
 学生の70年代の反安保闘争も潮が引くように静まった。
 挿入歌『夜霧に消えたチャコ』(作詞:宮川哲夫、作曲:渡久地政信)は、フランク永井がレコード収録の際に、途中で感無量になり中断したと、作曲家で立ち会った渡久地が後に自著であかしている。
 この曲が醸し出すメロディーが宮川の詞とともにして、人の感情に深く食い込む。レコードが出た1959年同名で映画化されている。フランク永井自身も出演している。決してやくざ映画ではない。それが十年後に、社会的な盛り上がりのなかで、この菅原映画に採用され、全編に流れている。富山の歌唱はエンディングでも歌われる。
 今回は映画を久しぶりで鑑賞しながら、とりとめもなく、さまざまな当時の情勢を思い出してしまった次第。

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