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2019年11月26日00:01

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2コリント11章

01 私が少しばかり愚かな事を言うのを、どうか、忍んで欲しい。勿論忍んでくれるのだ。
02 私は神の熱情をもって、貴方方を熱愛している。貴方方を、清い処女として、ただ一人男子キリストに捧げる為に、婚約させたのである。
03 ただ恐れるのは、エバが蛇の悪巧みで誘惑されたように、貴方方の思いが汚されて、キリストに対する純情と貞操とを失いはしないかという事である。
04 というのは、もしある人が来て、私達が宣べ伝えもしなかったような異なるイエスを宣べ伝え、或いは、貴方方が受けた事のない違った霊を受け、或いは、受け入れた事のない違った福音を聞く場合に、貴方方はよくもそれを忍んでいる。
05 事実、私は、あの大使徒達にいささかも劣ってはいないと思う。
06 例え弁舌は拙くても、知識はそうでない。私は、ことごとに、色々の場合に、貴方方に対してそれを明らかにした。
07 それとも、貴方方を高める為に自分を低くして、神の福音を価なしに貴方方に宣べ伝えた事が、罪になるのだろうか。
08 私は他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、貴方方に奉仕し、
09 貴方方の所にいて貧乏をした時にも、誰にも負担をかけた事はなかった。私の欠乏は、マケドニヤから来た兄弟達が、補ってくれた。こうして、私は全ての事につき、貴方方に重荷を負わせまいと努めてきたし、今後も努めよう。
10 私の内にあるキリストの真実にかけて言う、この誇がアカヤ地方で封じられるような事は、決してない。
11 なぜであるか。私が貴方方を愛していないからか。それは、神が御存じである。
12 しかし、私は、現在している事を今後もしていこう。それは、私達と同じように誇り得る立ち場を得ようと機会を狙っている者どもから、その機会を断ち切ってしまう為である。
13 こういう人々は偽使徒、人を騙す働き人であって、キリストの使徒に擬装しているに過ぎないからである。
14 しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。
15 だから、例えサタンの手下どもが、義の奉仕者のように擬装したとしても、不思議ではない。彼らの最期は、その仕業に合ったものとなろう。
16 繰り返して言うが、誰も、私を愚か者と思わないで欲しい。もしそう思うなら、愚か者扱いにされてもよいから、私にも、少し誇らせて欲しい。
17 今言う事は、主によって言うのではなく、愚か者のように、自分の誇とする所を信じきって言うのである。
18 多くの人が肉によって誇っているから、私も誇ろう。
19 貴方方は賢い人達なのだから、喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
20 実際、貴方方は奴隷にされても、食い倒されても、略奪されても、いばられても、顔を叩かれても、それを忍んでいる。
21 言うのも恥ずかしい事だが、私達は弱過ぎたのだ。もしある人が敢えて誇るなら、私は愚か者になって言うが、私も敢えて誇ろう。
22 彼らはヘブル人なのか。私もそうである。彼らはイスラエル人なのか。私もそうである。彼らはアブラハムの子孫なのか。私もそうである。
23 彼らはキリストの僕なのか。私は気が狂ったようになって言う、私は彼ら以上にそうである。苦労した事はもっと多く、投獄された事ももっと多く、鞭打たれた事は、遥かに夥しく、死に面した事もしばしばあった。
24 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けた事が五度、
25 ローマ人に鞭で打たれた事が三度、石で打たれた事が一度、難船した事が三度、そして、一昼夜、海の上を漂った事もある。
26 幾度も旅をし、川の難、盗賊の難、同国民の難、異邦人の難、都会の難、荒野の難、海上の難、偽兄弟の難に会い、
27 労し苦しみ、度々眠られぬ夜を過ごし、飢え渇き、しばしば食物がなく、寒さに凍え、裸でいた事もあった。
28 尚色々の事があった外に、日々私に迫って来る諸教会の心配事がある。
29 誰かが弱っているのに、私も弱らないでおれようか。誰かが罪を犯しているのに、私の心が燃えないでおれようか。
30 もし誇らねばならないのなら、私は自分の弱さを誇ろう。
31 永遠に褒むべき、主イエス・キリストの父なる神は、私が偽りを言っていない事を、御存じである。
32 ダマスコでアレタ王の代官が、私を捕える為にダマスコ人の町を監視した事があったが、
33 その時私は窓から町の城壁づたいに、籠で吊り降ろされて、彼の手から逃れた。
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