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2019年11月12日22:31

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猪木とビンス(585)最終章

80年国際プロレス秋の陣「ダイナマイト・シリーズ」は9月14日、後楽園ホールで開幕。エース格として来日が予定されていたモンゴリアン・ストンパーが急性気管支炎の為来日をキャンセル。

本連載では度々国際プロレスの外国人選手のキャンセルについて厳しく書いて来ましたがこの件に関してはやむを得ないと思います。

今回はシリーズを2分割しロン・バス、ビル・ドロモ、ドン・バス、ランディ・ローズ(オルズ)、ノーベル・オースチンらの外国人選手でスタートするのが「第一次ダイナマイト・シリーズ」(9月14日後楽園ホール〜25日鹿児島県立体育館)、後半に77年2月の「第6回IWAワールド・シリーズ」以来3年半ぶりの来日となるビッグ・ジョン・クイン、アレックス・スミルノフ、ザ・USSR(チャーリー・フルトン)、特別レフェリーのルー・テーズが参加したのを「第二次ダイナマイト・シリーズ」(9月28日豊岡市民体育館〜10月11日越谷市体育館)として開催しています。

9月20日、焼津市スケートセンターでは大木金太郎の持つインターナショナル王座にドロモが挑戦。これより9年8か月前の71年1月15日、日本プロレスの徳山市(現在の周南市)体育館で大木はドロモに2−1でまさかの敗戦を喫し、アジア・ヘビー級王座から転落。ドロモは歴代唯一のアジア人でないアジア・ヘビー級王者になっています。

2月2日、広島県立体育館でのリターンマッチで大木はドロモに2−1で雪辱を果たし、同王座奪回に成功しています。(ちなみにこの日のメインイベントが初来日だったMストンパーが馬場のインターナショナル王座に挑戦し1−1から両者リングアウトの引き分け)

約10年前の遺恨を覚えているファンはごく少数かと思いますが、大木vsドロモのインターナショナル選手権試合には決着戦の意味も込められていました。

試合は61分1本勝負。ドロモに額を割られ流血した大木でしたが、ボディへの痛烈なヘッドバットで反撃し10分59秒、一本足原爆頭突きからの体固めでドロモを破り27度目の防衛に成功しています。

「第二次ダイナマイト・シリーズ」にはクイン、スミルノフ、USSRが参戦していますが、もう一人、国際プロレス側が大物「ミスターZ」(リングネームではない)の投入を予告していました。これが物議を醸すことになります。

プロレス界では、情報解禁前や緊急参戦の大物を「X」として発表する習慣がありますが、その走りがこのミスターZではないかと思われます。

そして、東京12チャンネルの「国際プロレスアワー」がこの年の秋の番組改編期である10月から放送時間が毎週月曜日午後8時から毎週土曜日の午後8時からに「昇格」が決定。

ただこれには疑問が残ります。前79年は新日本プロレスから外敵を招聘してリング上も活性化、視聴率も上昇し東京12チャンネルから「特別活動費」として800万円をせしめた国際プロレスですが、80年に入ってからは入団した大木にそれほど人気はなく、79年に比べると大きな話題には欠けていました。既にこの時から給料の遅配が始まっていたとの話もあります。

毎週土曜日午後8時と言えば、馬場の日本テレビ「全日本プロレス中継」を72年10月より放送。裏番組にザ・ドリフターズのTBS「8時だヨ!全員集合」があり、また日本テレビの看板番組である巨人戦の野球中継がある時は放送時間帯が深夜(関東地区は午後11時45分から)に移行してしまうこともあり、局側の希望である15%以上の視聴率を稼ぎ出すことが出来ず。 

また、75年からはフジテレビがドリフターズに対抗して「視聴率男」と言われた萩本欽一を担ぎ出して午後7時30分から90分枠で「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の放送を開始しました。

全日本プロレス中継は苦戦を余儀なくされ、79年3月31日の三条市厚生福祉体育館大会からの生中継を最後に土曜日午後8時の時間帯から撤退。4月からは関東地区は毎週土曜日午後5時30分からに放送時間が変更されています。

それから僅か1年半しか経っていないこのタイミングで馬場の全日本プロレスが駄目だったこの時間帯に、全日本より弱体の国際プロレスアワーを持ってきても上手くいくはずがないのは最初からわかっていた話ではなかったでしょうか?

私はこの放送時間帯変更は「昇格」ではなくて打ち切りの為の序曲だと考えています。

さて、放送時間帯移行記念第1回目の放送日にあたる10月4日は滋賀・近江八幡市立運動公園体育館からの90分枠拡大生中継。後楽園ホールではなく近江八幡になった理由は不明ですが、国際プロレスアワーのネット局の1つに「びわ湖放送」があったからかと推測致します。

近江八幡大会では「世界三大タイトルマッチ」の開催が発表されていましたが、国際プロレスアワーでは時間帯移行前の9月の第一次シリーズより、番組内で「ミスターZは何者?」というフリをフリップを使って解説していましたが、その中で名前が上がったのが新日本プロレスのリングに参戦していたダスティ・ローデス。

元NWA世界ヘビー級王者、"アメリカンドリーム"のローデスが国際プロレスに参戦すればこれは大ニュース。ローデスは初来日と2度目の来日は国際プロレスで、75年12月の全日本プロレス「オープン選手権」では国際プロレス勢との対戦もありました。

番組内ではローデスの写真をフリップに載せ「?」マークはつけながらも参戦を匂わせるようなアナウンスをしていました。
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