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2019年11月05日15:36

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夜明けの晩、その5

 徹夜仕事をしている深夜は、元気に溢れ、明るい希望に周囲の何もかもが輝いているというのに、朝の四時を回ると、倦怠と不安に、周囲のあらゆるものは色を失って行く、そうしたものだった。眠気を忘れ、元気が空回りし、働かなくなった頭を引きずりながら仕事を続けるが、効率を伴わなくなる。仕方なく外に出ると、生真面目な朝がそこにいる。仕事をしていたのに朝はいつだって筆者に不健全の烙印を押して来るのだった。
 この世に存在するべきでない仕事。この世では不必要な仕事。そして、価値のない自分たち。クリエイティブという言葉は、昼間にしか仕事をしないようなメジャーな出版社のビジネスや恋愛や豊な暮らししか扱わないような書物を製作している人たちの使う言葉でしかない。ポルノしか持たない出版社で働く人たちは、ただ、世の中のクズでしかなかった。健全な早起き不健全な夜更かし。それでも徹夜で仕事をして、止めればいいのに朝の街に息抜きに出るのだ。徹夜という牢獄の中にいたのでは、あまりの息苦しさに死んでしまうからだ。僅かな空気を求めて朝に出て、その空気の健全さに驚き、あわてて牢獄に逃げ帰って来ることになると知っているのに、それでも外に出るのだった。
 そんな愚かな行為の繰り返しこそが三文ポルノ小説だったのだ。
 ところが、いつの時代からだったのだろうか。ポルノで儲けた出版社は明るい雑誌を作るようになった。ポルノしかないような出版社はつぶれて行った。性風俗にも、マニアサークルにも明るい昼の顔を持つ健全な人たちが流れ込んで来た。まるで、あの暗く寂しく汚い夜の新宿に行き成り太陽が流れ込んで来たのと同じように、健全はポルノに流れ込んで来たのだ。流暢に他人と交流出来る人たち、昼には普通に仕事の出来る人たち、普通の教養があって、普通の家庭のある人たち、そんな昼の住人たちが、まるで、廃墟ツアーにでも来るような気楽さで夜のポルノ世界にやって来たのだ。
 そして、その廃墟が危険だと訴えはじめた。その廃墟が不衛生だと訴えはじめたのである。勝手にそこに来たというのに。彼らは、物見遊山のその場所で、危険な場所を安全に変えよと訴えはじめたのだ。不衛生なものを撤去せよと訴えはじめたのだ。その危険な場所で眠る人がいて、その不衛生な環境で仕事をしている人たちがいたことを無視し、そこには近づきもしないまま、ただ、排除、排除と訴えたのだ。
 数十年ぶりに新宿を訪れた。新宿はすっかり綺麗になっていた。そここにあった暴力の匂いはなくなっていた。カラスさえ少なくなっていた。怪しい客引きとスカウトもいなくなっていた。緊張感はない。たとえ深夜でも安心して歩くことが出来るようになっていた。筆者はあの新宿で二度、銃声を耳にしたことがあった。日本刀や中国刀が振り回されるのを目にしたこともあった。怒声は毎夜耳にするものだった。
 健全な新宿の夜は、しかし、寂しかった。あの頃には賑やかな寂しさがあって、その賑やかさに自分の孤独を紛れ込ませて安心したものだったが、それとは別の、ただの寂しさがあった。三文ポルノ小説の入る隙間は、もう、今の新宿にはないのかもしれない。
 それでも、いや、それだからこそ三文ポルノ小説は、復活させるべきなのではないのだろうか。
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