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2019年10月24日11:43

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伊藤まつさんなりのハンセン氏病差別と、僕との関わり合い

あえて、表題の後ろから書きます。その前に、伊藤まつさんとは、1908年東京都八王子出身のハンセン氏病元患者です。1977年、某福祉会で僕も行った東村山市の多磨全生園で出会い、1985年に昇天するまで僕も時々訪問させてもらっていた方です。


  付き合いのきっかけは、伊藤まつさんが僕に「時々来てね」と声を掛けた事ですが、詳しい事は省きますが、僕も常にボランティアなどの人を頼んで、行き続け、電動タイプライターを使って、葉書もよく書き送った。思い出すと、懐かしいです。まつさんの頼みに応じた理由の一つは、理由は判りませんが、独特の寂しさを察した為ですが、それ以上に島田療育園の経験があったと今は気が付いています。島田で二人の身障園生と、職員たちから「関わりは愛でなければならない。友情はあてにならないものだから、友人感覚では来るな」と厳しく言われましたが、それを僕は伊藤まつさんにも当てはめたわけです。島田から退いてもそのように関わり合い続けた。応じて下さった伊藤まつさんも、関わりに一生懸命努力したわけです。まだ聖書は読んでいませんでしたが、それなりに愛を実践しようと。今の僕は何も元患者みたいな人だけでなく、障碍の有無の別なく、全ての人たちにそうしたいと思っているわけです。身障者だけもおかしいですからね。


  因みに、以上の島田療育園の求めを僕も受け入れる染地はあつたと思います。小さい時から僕も親戚筋などから「友情は当てにならない」とたくさん聞いていました。世間には陰でよく流れている事ですね。光明養護学校のかなりの同級生も同じ例が多かったらしく、高等部時代は複数の人がそのように話していた。学年一頭が良い人がそのような演説をした事も印象に残っています。卒業後、かなりが友情ではなく、恋愛や結婚を求め、早い結婚例もかなりありましたが、このような事もあったかもしれないと思っています。別のテーマの話になりますが、友情と恋愛は根本的に性格が違うから、友情から恋愛や結婚に至る事はあり得ないわけですね。同級生の事はともかく、僕も物心ついた時から友情に余り価値を置いていなかったから、島田からアガペーの観念を受け入れた。伊藤まつさんは素朴な信仰心を持っていたから、僕を受け入れてくれて、行き続けた。そんな因縁です。普通の友人関係ならば、僕も行くこと自体が面倒くさくなり、行っていない。手紙も書いていないでしょう。僕もそんなに社交的な性格でもないし。


  「伊藤まつさんの述べたハンセン氏病差別」もお話ししましょう。それは単純明快。「顔が醜いから、我々ハンセン氏病の人たちは嫌われるの」とだけ言っていた。感染とか、国家関与、遺伝誤解からの件などは一切言わなかったし、第一、まつさん自身も判らなかったわけです。理由の一つは、都会出身だからかな、と今の僕は察しています。

  単純ですが、「顔」はハンセン氏病にとって基本的な事だし、他の大きな問題にもつながっています。日本では明治期以来の国家関与が一番述べられていますが、江戸時代以前にも厳しい差別はあった。イエ制度や封建制と結びついたものが。その封建制以前にも差別されていた。根本の根本を辿ると、本当に「顔」になってくる。基本的な事を伊藤まつさんは教えてくれたわけです。それは他の差別にもつながっている。一番心に浮かぶのは、美人コンテスト。まつさんの言っていた事の反対側の問題と言おうか。昔から「それは差別だ」という声が聞こえますね。僕も昔、一女性身障者から「女性の脳性まひ者は顔が歪んでいるから、男から差別され、恋愛対象にはならないの」と怒りの声を聞いた事があり、まつさんの件と合わせて、考え込みました。そのように言った時は既婚でしたが、五体満足の夫とその面の運動をしていたようです。つまり、他の身障者問題にもつながっていると。


   島田療育園の小説を書いて、伊藤まつさんとの付き合いの事もはっきり掘り起こせたので、書きました。それも小説書きの効果の一つですね。僕には関係ありました。





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