mixiユーザー(id:2938771)

2019年10月14日00:08

128 view

ゆるゆると次の企画に、その1

 ホラーを書いていると、あれも、これも、と、書きたいことが出て来る。いや違う。書かなければいけない、と、そんなものが出て来るのだ。それはたとえば、好きな映画を五本とか、好きな漫画を五本選んで、それについて書いてくれ、と、そうした依頼の原稿を書いているときの気分に似ている。五本を選んで書いていると、ああ、五本の中にあれを入れなかったのは間違いだったかもしれない。この五本で本当に良かったのか、もっと別の選び方もあったのではないか、本当にこの五本が好きなのか、選ばなかったあの作品のほうがより好きだったのではないだろうか、と、そんなことを考えてしまうのだ。
 しかし、そうした作業は、あくまでも自分のこと、つまり、自分の好みの問題なので、それはそれで諦めがつく。ホラーは違う。今回、あの事例については書かなかった、それがゆえに、彼女のあの悔しさは表に出して上げることが出来なかったのだ、彼のあの悲しさを伝えておくことが出来なかったのだ、と、そう後悔するのだ。
 筆者は別に霊界について書きたいわけでも、幽霊の存在を証明したいわけでも、悪戯に他人を怖がらせるお化け屋敷を造りたいわけでもないのだ。筆者の書くホラーは、誰かの悔しさとか、悲しさとか、寂しさとか、怒りとか、屈辱とかなのだ。つまりは、そうした誰かの代筆をしているだけなのである。その感覚がシャーマニズムに似ているとなれば、それこそが、まさにオカルトというものなのかもしれないわけだ。そして、そうありたいと考えている。
 ホラーを書くと、どうしてこんなにも悔しい気持ちになるのか、惜しい気持ちになるのか、自分がもどかしくなるのか、それについて考えていたら、そもそも、筆者はどうして書き続けているのか、と、その問題について考えるようになった。いや違う。筆者がではない。そもそも人はどうして書くのか、その問題について考えたくなったのだ。自分のことを知ってもらいらいのか、それとも、誰かのことを伝え残したいのか。
 闘えない誰かのために、歌えない誰かのために、踊れない誰かのために、書けない誰かのために、闘う人、歌う人、踊る人、書く人がいるのではないだろうか。
 そこでこんな企画はどうだろうか。
「いつか書いて」と、言われていたのに。
 これでは、タイトルが長いので「忘却の手紙」と気取ってみたらどうだろうか。
 さて、ホラーは、どうしても思い入れが強く、結果として力が入り過ぎる、疲れてしまう。休憩の意味も含め、ゆるゆると次の企画を考えようと思う。そして、次の企画は、少し力の抜けるものにしようかとも思っている。今は。

1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年10月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031