mixiユーザー(id:19073951)

2019年09月07日15:54

303 view

言の葉を揺らす風

言葉は「言の葉」と記すもの。
その1枚の,小さな葉っぱは,「ひとの思い」という風に揺れる。

「思い」が,空気を振るわせ風となって,そのゆらぎが梢の葉を揺らす。

思いは,言の葉を向けた相手に向け,風に乗って相手の心に届く。
風という空気の揺らぎに乗って相手の心に伝わり,相手の心をそっと揺らす。

思いを受け取った相手の思いも,やはり風に乗って,揺れる言の葉となり,こちらに伝わってくる。

思い,それ自体は目で見ることはできないけれど,
言の葉に記された文字を通して,私たちは相手に思いを伝えることができる。
そして,風のそよぎ方で,「言葉(文字)という記号」では伝えることができない
目に見えない思いの強さ,深さを知ることができる。

揺れる葉っぱに書かれた,目に見えて伝わる言葉と,
そして,その言の葉を揺らす風に乗って伝わる,目には見えない思いの強さ,深さ。

言の葉を揺らす風は,しかし,強ければ強い,深ければ深いほどいいというものでもない。
思いが強ければ強いほど,その思いを乗せた風も,吹きすさぶ嵐のごとく,強いものとなる。
時に,小さく弱い,一枚の言の「葉」を落としてしまうまでに。

「言の葉」のほかにも,空気の振動に乗って,相手の心を揺らすものがある。
それが音楽というものだと思う。

詩をつむぐ言葉と,音楽を記す音譜とは,きっと同じ役割を持っているのではないか。
まるで「ピアノで朗読する詩」のように。

言葉と音楽。
どちらも,人種や国籍,民族性によって違いはあれど基本的には「文法」あるいは「音階」といった一定のルールのもとに作られていること,あるモジュールやフレーズの組み合わせが,寄木細工のように巧みに複雑に構成されるものであること,抑揚やアクセントの強弱,スピードの緩急で,文字あるいは楽譜に記された以上の感情を伝えることができること,そしてその複雑な構成を読み解く方法と能力を,私たちは生まれながらにして持ちあわせていることが共通している。

何より似ているのは,その言葉や音楽に込めた,背後にある思い,願い,祈りといった,それ自体では目には見えない,耳には聞こえないものを,風という空気の振動,揺らぎに乗せて伝わり,届いた相手の心も振るわすことができることだ。

言の葉は,私と誰か,それぞれの風を受けて揺らめく。
私たちの間,人と人との心の間で,揺れ続けるもの。
涼やかでやさしいそよ風を受け,穏やかに揺れることもあれば
強風に打ちひしがれ,今にも吹き飛ばされそうになることもある。
一見,か弱い,たった1枚の薄い葉っぱのようでも,それでも,強風にあおられても,吹きすさぶ嵐の中,必死になって枝にしがみつくように,落ちまい,飛ばされまいとしている,そんなこともある。

樹木本体の潤いを保つため,葉っぱからの水の蒸散を避けるように,本能的に葉をわざと落とすこともあるし,ある程度葉が落ち,根から吸い上げる水の量と,葉から蒸散する水の量のバランスがとれるようになったことで,枯れずに息を吹き返すこともある。

さらに途中で思わぬ何かに当たって,風向きや風量が,意図したものとは変わってしまうことだってある。

風を受けた言の葉の揺らぎ方や,その揺れる方向を手がかりにして,相手が放った言葉や音楽の背後にある,目には見えない,深いところにある思いに,想像を馳せる。

風が,熱気と湿気を帯びた夏の風から,湿度の少ない涼やかな秋の風になってきた。
私のこの日記の言の葉も,揺れる秋風に乗って,読んで下さる方々の心をそっと揺らすようなものになって伝わったら,嬉しく思う。

17 12

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年09月>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930