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2019年08月20日06:43

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蟻の街の子供たち 北原怜子(きたはらさとこ)−96

聖母文庫 聖母の騎士社刊

第五章

雪の箱根から
   蟻の街の松居先生宛の書簡(昭和二十七年三月 仙石原の雪の日に)

 松居先生

 お見舞状ありがとうございました。ご同封下さいました子供たちの心尽しの絵や手紙、一つ一つ嬉しく拝見しました。こちらは今朝から雪が激しく降り出し、金時山も乙女峠も、仙石原一帯が白一色に塗りつぶされて、高原らしい冬景色になっております。犬のベッシィだけが楽しそうにこけつまろびつ駆けずり回り、人間はみな炬燵(こたつ)の中で縮こまっています。
 この際にゆっくり「蟻の街」に関する記録をまとめろというご注文、残念ながらクリスマスの時に、資料をみんな焼き捨ててしまいました。また無茶なことを・・・とおっしゃるでしょうが、それは先生がお焼かせになったのも同様でございます。忘れもしない去年の十二月の二十五日の晩、先生は私の家へ訪ねて来て下さいました。
 その夜は家中のものが、クリスマスの喜びを祝うために会食をして、クリスマス・ケーキを切ったり、クリスマス・プレゼントを贈り合ったりして、祖母も甥たちも大喜びで、早寝をしたあとでした。
 二人は、応接間に飾ってあるイエズス様の御絵の前で、生涯忘れることのできないこの一年間の思い出を、あれこれとしつづけていました。そのうちに、ふとしたはずみに、私は
ーーー松居先生が、何かにつけて、私を「蟻の街のマリア」という狭いおりの中にとじこめておいて、少しも人間あつかいして下さらないーーーと抗議めいたことを申しました。
 すると、松居先生は、「ご自分が、蟻の街という舞台に、立って、蟻の街のマリアという役に扮している女優にすぎないということを、自覚なさっていらっしゃらないんですか?」
「女優ですって!」私は驚いて聞きかえしました。
「何もびっくりなさることはないでしょう。あなたが本当のカトリックの信者なら、この世の出来事は、すべて天主様が人類を導くために描かれた演劇であって、人間は、その筋書通りに演ずる俳優にすぎないと、信じておいでになる筈じゃありませんか。ですから、蟻の街という芝居の幕があいている間は、堂々とマリア様の役になりきるのが大切です。芝居の途中で、てれくさくなって、客席に向かって、『私は本当のマリアではありません』などと言い出すのは茶番芝居でやることですよ。そういう茶番芝居の女優にかぎって、芝居が終わって、楽屋に入ってからのほうが、女王様気取りで、高慢な態度をとりたがるものです。私は蟻の街という芝居の演出を引き受けた以上、どこで幕をあけて、どこで幕をおろすべきか大体予定がつけてあります。したがって、その幕切れがくれば、私自身の役目も終わりとなりますが、万一、その時になっても、北原先生がウロウロしていて、花道から引っ込むことを忘れていたら、私は手紙を送って断然決心をうながすつもりです。
ーーー北原玲子よ尼寺に行きなさいと」
 先生は私が修道院へ行く固い決心があると信じておいでになったればこそ、あれだけはっきりおっしゃったのだと思います。私もまた、そのお言葉を伺うまでは、その決心に少しの狂いもないつもりでおりました。しかしあのお言葉を伺った瞬間、私は今迄の自信が一時に消えうせて、なんだか目の前が真っ暗になってしまったような気がしました。

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