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2019年08月19日23:59

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延命治療

母の調子がだいぶ悪くなってきたようで、胃瘻もしくは点滴での栄養補給が必要になりそうだ、という話が出ているそうです。私自身は、生命を軽んじる気持ちはない(つもりな)のですが、「とにかく生きてさえいれば」と言う感覚もよくわからず、「それでも人間か!」とか言われるのが面倒でそういう話題の時は積極的には発言しないようにしています。私が人間らしくないとすれば、むしろ「それでも人間か!」と言われて、別に人間らしくなくてもいいじゃないか、とか思ってしまうところのような気がしますが、そう言うことを言う人にそんな態度を見せるとますます面倒なことになるので、言わぬが花、と決めています。

それはさておき、私自身は離れて暮らしていることもあり、直接話をしたわけではないものの母自身も以前から延命治療には否定的だったと言うことで、とりあえずは自然に任せることになったそうです。本人の意思表示ができないと言うことがなによりのハードルで、「以前に何を言ってようが、いまは生きたいと思っているかも」と言われれば、否定する材料は確かにありません。とは言え、ずいぶん前から「歳をとって、あれができなくなった」「これもできなくなった」と愚痴をこぼしていた母が、意思表示すらできなくなった状態で「なにがなんでも生き延びたい」と考えているとはとても思えません。

生に執着するのがどういうタイプの人なのか、タイプではなく、それぞれの個性によるものなのかはわかりませんけれど、自分のことを考えると、母と同様に「できることがどんどん減っていく」「ほとんど残っていない」状態になったら、その状態に執着することはないように思えます。いつぞやの日記にも書いているように、私は何かを「してもらうのがうれしい」と言うのはあまりなくて、できないことは仕方ないからやってもらう、という感覚なので、そればかりになったら、とても幸せを感じることはできそうにありません。「生きてくれているだけで幸せ」と言われれば、何も言えませんけれど、それは他人(そんなことを言ってくれるくらいなので、親しい間柄ではあっても)のために生かされていると言うことであって、本人の気持ちとは別問題です。

自分が不幸なら死んだ方がマシ、などと言うのは、自分勝手と言えば自分勝手なのでしょうけれど、少なくとも、そういう考えの人間がいることは認めてもらいたいものです。それを認めると、生きたいのに「本人が不幸に違いない」と勝手に殺される人が出る、と、先回りして反対する人がいるのですが、いずれにしても、不幸な死を遂げる人はいくらでもいるわけで、殺人防止のために延命しなければならないというのもおかしな話です。生きたい人の意思を尊重する方法はきちんと考えていただいて、そうでない人が「いないことにされる」のは避けて欲しいと思います。
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