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2019年08月06日01:05

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昭和天皇の訪欧とマス・メディア

昭和天皇の訪欧とマス・メディア

1971(昭和46)年9月〜10月、昭和天皇と香淳皇后はヨーロッパ七か国を訪問された。天皇は70歳、皇后は68歳であった。

天皇・皇后はイギリスとオランダでは、冷たい世論と抗議行動に遭遇した。イギリスでは、天皇が前日に植樹した王立植物園の杉の木が伐り倒され、木には「彼らは無駄死にしたのではない」と書かれたカードが掛けられていた。

オランダでは、10月8日夕方、ロッテルダムからの帰路、ハーグで液体の入った魔法瓶が天皇・皇后が乗った車に投げつけられ、車の防弾ガラスがひび割れる事件が起こった。また、翌9日には、アムステルダム動物園前で二人の男が天皇の車に近づき「帰れ」「人殺し」と叫び、在外邦人のレセプションが開かれたホテル・オークラ前にも数百人が集まり「HIROHITO GO」と書かれたプラカードを掲げ、一人が歓迎のために配られた日の丸の小旗を燃やした。

好意的と見られていた西ドイツでも、天皇・皇后が訪れたケルンの日本文化センター前に50人ほどの過激派学生が集まり、「ヒトラーの盟友」と書いたプラカードを掲げ、デモ行進した。

また、天皇が訪問国で述べたお言葉も批判の対象となった。10月5日、エリザベス女王は、バッキンガム宮殿で催された歓迎晩さん会で挨拶し、「わたしどもは過去が存在しなかったと偽ることはできません。わたくしどもは貴我両国民間の関係が常に平和であり友好的であったとは偽り申すことはできません。しかし、正にこの経験ゆえに、わたしどもは二度と同じことが起きてはならないと決意を固くするものであります」と述べた。

これに対し、天皇は皇太子時代の英国訪問の経験を語り今後の両国関係の進展を希望すると述べるにとどまり、女王が触れた戦争の禍根について答えることはなかった。このため、デイリー・テレグラフ紙は社説で「陛下の感じておられるに違いない“深い遺憾の意”を表す言葉のひとつだになかったのは全くの不幸」と記した。

ガーディアン紙もまた、「大戦から四分の一世紀を経た今でも、日本軍のいまわしい行為を許しはしても、忘れることのできないイギリス人は多い・・・・天皇は国家の象徴として、現在ばかりでなく過去にも責任がある」と、社説でつづった。

10月8日には、ハーグで天皇・皇后の乗った車に魔法瓶が投げつけられる事件が起こった。その直後、天皇は入江侍従長に日本の新聞・放送が大きく扱わないように指示し、「あれでこの国の人はいくらか気がすんだろう。しかし、これを日本で大々的に報道すれば、親善は実をむすばないことになってしまう」と述べたという。

このような言及は、天皇訪問の成果がそれを伝える報道と不可分な関係にあることを天皇自身が認識していたことを示している。
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