鋼鉄男アイアン・マイク・シャープは前84年1〜2月の新春黄金シリーズ以来1年3か月ぶりの来日。
父は日本プロレス史上最も有名な外国人タッグチーム、54年2月19日、蔵前国技館での日本初のプロレス国際試合に来日し、力道山&木村政彦組と対戦したベン&マイクのシャープ兄弟の弟マイク。
79年4月、全日本プロレスの「エキサイト・シリーズ」にマイク・シャープ・ジュニアのリングネームで初来日、5月2日、長崎国際体育館では体調不良のジン・キニスキーに代わって鶴田のUNヘビー級王座に挑戦、2−1で敗れています。
83年にWWFと契約し84年1月、アイアン・マイク・シャープとして新日本プロレスに初参戦、終盤戦特別参加でWWF世界ヘビー級王者になったばかりのハルク・ホーガンのパートナーを務めました。
今回も終盤にはホーガンが来日するところからトーナメント以外にもホーガンの露払いを務める重要なミッションがあります。
仮面の魔豹カネックは前84年6〜8月の「サマー・ファイト・シリーズ」以来約10か月ぶりの来日、前々回書いた通り、83年の第1回IWGP中南米代表。この時も成績不振に終わり、前回は84年7月5日、大阪府立体育会館で藤波のWWFインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦しましたが10分41秒、バックドロップからの体固めで敗戦。さらに「猪木強権発動」により藤波はカネックとのタイトル戦の後に長州ともう1試合行うことに。(藤波の反則勝ち)
カネックにしてみたらまさに「噛ませ犬」に使われてしまった感じです。
それでやる気を失ったか?シリーズ終盤戦の7月28日、松戸市運動公園体育館ではジュニア・ヘビー級のザ・コブラのウラカン・ラナの前にクイックながらフォール負け。初代タイガーマスクにも負けなかったカネックでしたが、この時はボロボロで帰国しました。
このあたりは、UWF設立に際し外国人選手をブッキングした見返りにUWAと懇意にしていた新間寿が全日本プロレスとUWAを繋ぎ、業務提携させたことに対する新日本プロレスの報復措置とも受け取れますが果たして2年ぶりのIWGPで汚名返上なるか?
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