■京都・祇園で火災、周辺の店の客ら避難 現場は騒然
(朝日新聞デジタル - 07月08日 23:21)
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昔1960年代、高校生だったころの僕は
期末試験が終わると決まって京都を訪れ、
祇園や木屋町、東山、南禅寺、疎水、更には嵐山、落柿舎を訪れたり、
祇王寺のおかみさんの語ってくれる縁起話に耳を傾けたものだった。
五月には学校をサボって葵祭、下加茂神社の比べ馬、
七月には祇園祭を見て、思う存分カメラに収めたものだった。
その頃の京都は、今みたいに俗化してなくて、楽に見物できたのさ。
でも、もう行く気にはなれないね。
昔の「雅で粋な京都」は、永遠に失われてしまったから。
その代わり、観光客向けの厚化粧を施した京都に変わってしまった。
つまり何もかもが、如何にもな「作り物」になってしまったんだよ。
特に最近は酷いって聞くね。
騒々しくてエグいガイジン観光客が大挙して群がり、我が物顔で闊歩し、
それに反比例して、日本人観光客は激減しているっていうじゃないか。
これを今ごろになって「観光公害」って呼んでるんだそうな。
馬鹿じゃないの、そんなこと端から判ってただろうによ。
要するに「日本人にとっての京都」は、著しく魅力をなくしちまったのさ。
京都は今じゃ、お手軽な「観光スポット」なんだよ。
つまり「わざとらしい日本」を演じてるのさ、金儲けのためにね。
心ある日本人は、こんな京都をきっと悲しんでることだろうさ。
でもね、その一方で、流石は千年も続いてきた都だけのことはあってね、
生粋の京都人は、京都の『肝』を「外のお人」には決して見せないことで
しっかり守ってるんだよ。
昔から京都人の「都意識とイケズ」は有名だよね?
「東京はせいぜい三百年ですやろ。そんなもん話にもなれしまへんがな」
というスタンスで、これが「京都人の底意地の悪さ」の根幹にあるんだよ。
言い換えれば生粋の京都人は、腹の底から他府県人を馬鹿にしてるのさ。
今、日本は国を挙げて「インバウンド」に血道を挙げてるけど、
こんな風潮、実に賤しい拝金主義、俗物主義だとは思わんかね?
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