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2019年06月24日18:06

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24日さとちゃんちのコメントまとめ

24日さとちゃんちのコメントまとめ

今津の浜を歩く4ー今津の寝床
I.Fujikawa
24日のコメントはここからですね
昔書いていたmixi日記のまとめを
毎日noteにアップしています
過去の日記を読み返すことで
新しい目標ができました
それが
再開「mixi日記」〜1万字にチャレンジ2019年06月23日=10856 文字

これは昨日のnoteです
1万字超え・・・昨日で3日連続です
かなり難しいチャレンジでした
しかしこの3日連続達成
その原動力になっているのが
さとちゃんちへのコメントなのです
一日に10件以上のコメントを義務付けています
それはなぜかというと
さとちゃんちにした私のコメントも
だいたい10日分をnoteにまとめて
毎日アップしているからです
つい先日noteに追いつかれそうになりました
つまり
私のコメントのストックが切れたわけです
これでは毎日更新はできない
できればやはり毎日更新したいですからね
そこでコメントのノルマをせめて10件
それ以上を義務付けたわけです
一回のコメントは少なくても
10件まとめればそこそこの字数になります
この前なんか数えたら23件コメントしていました
夕方までに集中したのですね
そしたら4千字超えました
5千字超えた日もありました
するとほかにもいくつか書いていますので
それを合わせると残り2〜3千字になります
その字数を夜 0時になるまでせっせと書けば
1万字が可能になるのです
実際三日連続達成
今日も狙っています
不可能だと思っていた一日1万字日記
それが奇跡ではなく連続毎日達成
日常の当たり前の出来事になっているのです
いやいや
そう簡単なものではないので
日常とまで言い切ることはできません
ちょっとした気のゆるみ
ちょっとしたアクシデント
それで不可能になりますからね
1万字とはそういう数字

今日も10件以上のコメントを目標に
セッセとコツコツ
書いていきます
場違いなコメントになるかもしれません
ほとんどが場違いですね
私のコメントは
自己チューですから許してください
私が変なコメント書いているせいで
誰もコメントしてくれないかもしれません
きっとそうなっているでしょう
それもお許しください
誰かが書いていると
あとから書きづらいという心理も分かります
私が実際そうですから
だからわざわざ0コメを探してそこに書いたりしています
案外それも愉しいものですが

ということで1万字達成の報告と
それはさとちゃんちのコメントのおかげだということと
きょうもまたせっせとコメントさせていただくとご報告しておきます
どうもありがとう

今津の浜を歩く5ー今津の浜
一郎
記事を読みながら
砂浜でテント張って寝たことをコメントしようと思ったら
以前のコメントに書いてました
おかしくなって苦笑い
書くネタがもうないなぁ
比良山系に通っていた頃
もちろんパソコンなかったし
ああ そうだった
これまで初めて本を集中的に読んだ時期でもあったなあとおもいだしました
何もかも忘れていますが
そのころの経験が今何か役にたってるのかと思います
すべて忘れているから
忘れることはいいことだとおもって
慰めましょう
昔はむかし
今はいま
いま そしてあした
過去は忘れ
あしたこそ
いやいや
今日の一万字日記
すぺてはこの道に

講座回想記2・5月の山菜摘みと天ぷら
I.Fujikawa
「天気予報、100%の降雨確率。それでも、なるようになる、しかも、よりよくなるとの信条はゆるぎません。」

さとちゃんは信念の人ですね
それは楽観主義に徹しています
なるようになる・・・とは誰もがおもうこと
しかし
よりよくなる・・・とまでは言い切れないもの
それをさとちゃんは
「よりよくなるとの信条はゆるぎません」と言い切ってますからね
う〜〜ん
何が違うのか
何がそういわせるのか
しばし考えます
ない頭を絞ります
楽観主義と書きましたが
その根底にあるものは何か
正直私はさとちゃんのことはよく知らない
ただ同じ年の生まれという縁を
うれしく思っているし
だから親しみを感じている
さとちゃんは教師だったらしいとはわかりますが
中学?高校?何も知りません
病気のことも喉頭がん?というくらいしか
家庭のことも奥さん子供さんのことも
ただお母さんが農の師匠ということは
記事を読んでわかりますが
そのほかのことは何も知らない
というかさとちゃんはあまり書いていないのでは?
私も知らないでいいと思うし
ブログの記事がすべてだと思っている
さとちゃんの全思想?思いが詰まっているはずだから
「よりよくなる」はずは現実にはない
よりわるくなっている現実
それでも「よりよくなる」との信念信条は
歴史的観点からの未来への信頼 人間への信頼
その確信があるからこその信条
紀伊の深い山懐に抱かれ育ったさとちゃんならばこその
奥深い心とその人柄が発する言葉
「よりよくなる」とまだ言えない私は
さとちゃんのブログを読むことが私の遍路路

今津の浜を歩く6ー今津の座禅草
コメント
I.Fujikawa
午前中は入浴サービスの日
11時から小一時間だが
その時間PCできないので
姉さんが入院中してた時のように
スマホから投稿してみた
退院してちょうど一週間
もうスマホからの投稿を忘れてる
でも考えたら入院していた時のスマホ体験
他にすることなかったから
せっせとなれないスマホからさとちゃんちにコメントしてた
その時の習慣が家でのPCでの集中的な投稿につながったんだろうね
そのおかげで1万字三日連続という記録
今日も狙ってますから
もう日常にしちゃいますから
あれ?」1万字書けてない?おかっしいなってな具合に

さてザゼンソウ
「花を歌うかな」というメルマガ出してた頃
その頃利用させてもらってる花ねこ日記さんのブログに
やはり時々出てきた花
今その時にどんな歌つくったか検索してみたけどヒットしなかった
もう昔のことだからね
ヒットしたところで昔の歌 みてどうなる?
知らずに済んでよかったのではという思い半分
知りたいなあと思うのも半分
どうでもいいんだけど
昔のことを知りたいという気持ちも捨てがたいんだよね
だからnoteで今5本アップしているけど
1万字日記以外は過去に書いた記事のまとめだから
その1万字日記にチャレンジは
mixi日記に過去書いていたものをまとめてnoteにする中で
出てきたアイデア
だから過去を見返すのも未来につながることになった
それが今後どうなるかならぬかわからないにせよ
一つの目標ができたということ
記事の内容に関係ない方向に脱線
失礼しました

今津の浜を歩く7ーマキノビッグランドのかたくりの花
I.Fujikawa
メタセコイアの並木道
好きですね
北海道にもこんな並木道があったような

並木道と言えば
映画「第三の男」の印象的なシーンを思い出します
少しその画像か動画検索して
遊ぶことにします
ウィーンの中央墓地だとは知りませんでした

今津の浜を歩く8ー竹生島巡航船乗り場
I.Fujikawa
前の記事を読んでいた時から
少し眠くなってきました
一時お昼寝タイム
お昼寝終わり
3時のおやつも済みました
今凝っているのは
水切りヨーグルト
これまではプレーンヨーグルトに砂糖を入れ
たとえばバナナなどを切り入れていましたが
水切りヨーグルトを知って
固めのクリーム状になったヨーグルトに
イチゴジャムを乗っけて食べます
ジャムがないときはハチミツ
あの食感には驚きました
お勧めしますよ

さと川柳2006・5ー01
I.Fujikawa
この花の名前を目にするのは初めてだと思います
だからかなり珍しい花だと思います
季節の花300さんで画像確認しました
http://www.hana300.com/ooyama.html

学名
  Magnolia sieboldii
マグノリアと聞けば
またもや映画を思い出します
芸達者な女優たちの競演でした
ちなみにこのマグノリアとは
アメリカ南部を象徴するタイサンボクの花木とか
タイザンボクと覚えていたのですが
そのように紹介しているサイトもあるので
あながち間違いではないかもしれません
タイザンボクはかなり大きくなりますので
白い花が咲いても下からは見ることができませんでした
以前 京都は中央を南北に走る大きな通りの堀川通と
北大路通りの一つ下の大きな通り紫明通りとの交差点に
大きなちタイザンボクの木がありました
中央分離帯の大幅な改良工事のためにその木は取り除かれましたが
とても残念な気がします
御池通の分離帯に植えられていやケヤキ並木も
地下鉄工事による道路改修工事でなくなりました
こちらの樹々は植物園に移植されたと聞きましたが
見慣れた街路樹がなくなるのは寂しいものです
確かに道路は広くなり電柱も電線もなくなり
広い空を見渡すことができるようになりましたが
喪失感の方が大きい
仕方のないこととはいえ大きな樹々は大切にしてほしいものです

5月基本講座・菖蒲谷の子安地蔵寺の藤の花と山菜天ぷらの試食(5/7・橋本市)
I.Fujikawa
4時になったので
そろそろ洗濯物を入れようかと裏に行きました
ところがちょうどいま日がよく当たっていましたので
取り入れるのを少し先延ばしにしようかと戻ってきました
さてこの記事に私はコメントしていますが
全くの記憶がありません
普通は少しは思い出すのですが
何も思い出せない
いやいいやもうろくが進んでるようで
すべてが初めての記事のようでもあり
思いようによっては新鮮だともいえるわけで
はいはい
物事は思いようという説を取り入れましょう
それにしてもさとちゃんの相変わらずの名文?
「 共に歩く、共に食べる、共に、歌う、そういう熊野学舎の講座です。」
ときましたね
「共に」の三段重ね
いいですね
だからこそ人が集うのですね
一人遊びが得意な私でさえも
ひきつけられましたから

あなたへ観想詩・週観→5/14(日)〜5/20(土)
I.Fujikawa
日曜日だけでも
みんないただきたい言葉ばかりでしたよ
中でもこれを取り上げました

★誰がなんといおうと自分が大切ですから。

この言葉はある意味誤解されるかもしれないけど
それだけに私は意味ある言葉だと思います
しかもさとちゃんの言葉はかなり強いものです
「誰がなんといおうと」と表現しています
逆に誰もがなにやかやと口出しする批判するということを
暗に戒めているのです
何と言われようとも
「自分が大切」だと言い切る
普通はこうは言い切れないと思います
こういうと批判されるからです
自分だけが幸せになればいいのか
自分のことしか考えないのか
自己中じゃないか
個人主義利己主義
たとえば近代日本は家父長制度で
個人も特に女性は差別され
家に従属させられてきました

個人の幸せなど考えることすらできなかった時代を経てきました
前近代的な家父長制はなくなったとはいえ
根深く家族制度に縛られている現実があります
親は子から
子は親から
独立自立すればいいのです
それができないのは
社会的欠陥といっていいでしょう
個=子が幸せになる
それが保障される社会でなければならない
だから
「誰がなんといおうと自分が大切」
そうさとちゃんは言うのです
個人が幸せになってこそ
社会全体もまた幸せになるのです
さとちゃんのこの言葉を
私は支持します

★デタラ芽農日記43・畦と岸の草刈りしたよ!!
I.Fujikawa
わぁ!緑いっぱい
というのが画像を見た感想
でも草刈りをしなくちゃ
自足農は大変ですね
とてもとても私にはできません
それをやっていただいているおかげで
色んな野菜をいただける
ありがたいことです
感謝しなければいけませんね
それが私にできること

気になったのにスナックエンドウという言葉
私はスナップエンドウと覚えていましたから
気になって調べると
スナックエンドウとも呼んでいたということ
アメリカから入ってきたことで
いわゆるアメリカでの通称と
日本で流通するうえでつけられた通称との違い
なので
「農林水産省によって1983年、スナップエンドウと呼ぶことが奨励されました。」
ということになったようです
同じ豆に違いはないということ
詳細に検証したサイトがありました
https://kurashi-no.jp/I0012589
興味ある方がどうぞ
まあこんなことに興味持つのは私ぐらいかも

とにかくお疲れさまと言いたいのですが
さとちゃんはもういないのでね
畑の草刈りのことがあちらにいかれても
気になっていることでしょう
いやいや
そんなことは気にもならないで
熊野のあっちこっちを
自由自在に回っているかも
いろいろと想像してますよ

デタラ芽農日記44・八朔の根がついたよ!!
I.Fujikawa
「土の中のことは、よくわかりませんけれど、しのぎあっているのではないかと想います。共生とは実にその激突の中で生まれているのだと想います。共生という言葉は美しいけれどそんなに簡単に共生などできるものではありませんからね。

人と人、共生、どうでしょうか??「共生」と言うのは、たやすいのですけれどね。樫と藤を眺めながら柿と蕗をみつめながら、八朔のつやつやした新芽を頼もしく想うのでした。」

いやいや・・・
いいことをいうのに
いやいやというのは面白いですね
否定の「いや」ではないからですね
「参った」「感心した」
つまり肯定の「いや」なんですね
いやいいや
参った参った
さとちゃんの文章には
感心します
それで長いんだけど引用しました
素敵な文章です
さとちゃんはこれまで見てきましたが
直接的に政治的な問題には触れません社会的な問題にもね
一般的な自然の話をして
人にも関連付けて語るのですが
それも一般的なたとえで終わっています
あなた自身が考えてくださいと投げ出しているようです
自分の問題として考えなくちゃ

「八朔のつやつやした新芽を頼もしく想うのでした。」
この文章
今的に私はあることを連想するのですが
新芽を頼もしく想うと同時に
力強くたくましく大きく育ってほしいと思いますね

デタラ芽農日記45・花はいかがですか!!
I.Fujikawa
色とりどりのお野菜や花々が並んでますね
直売所の様子がわかって愉しいです

「さとさんと話が出きるのが楽しみという方もいてます。」
そりゃそうでしょうね
買い物の一つの愉しみは会話でしょうから
都会ではそれがなくなっています
余計なことは話さないのが基本みたいな
田舎でのこんなのんびりした直売所
商売にはならないかもしれないが
コミュニケーションの場として
地元の人には求められているのでしょうね
さとちゃんと話ができる人は幸せだ

デタラ芽農日記46・えんどうを紐で巻く!!
I.Fujikawa
そろそろ6時になります
さとちゃんちのコメントもこれでおしまいにしなくちゃ
まとめて日記にして
そのあち夕食の準備
もう済んでますので
ご飯がたけるのを待つだけ
残り物のおかずにカレール―を入れるだけで
おいしいカレースープができます
ルーのおかげですけどね
ちなみに生協のです
ご飯が炊けた合図が鳴りました
コメントをmixi日記にまとめましょう
今日は何件何文字書けたかな?
お愉しみ〜〜〜
0 0

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