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2019年06月18日23:43

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女性は仏になれない…仏典に残る性差別 どうすれば

https://www.asahi.com/articles/ASM693C2VM69PIHB001.html?iref=comtop_favorite_02

以前私は、ロシア語の文法性について語ったことがある。つまり、動物にもほとんどの名詞に性別がある。極北の国ロシアでは、農耕が難しく、動物も立派な働き手として、性別はむしろ彼らの存在を尊重したものだと受け止められる。

その一方、この記事は宗教での性差別と言う問題。もちろん、宗教の性差別は人間に対するものであるから、問題であると考えるのは当然だろう。しかし、本当にそんな簡単な問題なのであろうか。フランスでは性差別の象徴として女性のヒジャブの着用を禁止しているが、その一方でインドネシアでは若者が率先してヒジャブを着用しており、イスラム教徒独自のファッションとしてそれを楽しんでいる。もちろん、夫の不倫は許されても(一夫多妻制)嫁が不倫をすると死刑になるような“人権の不平等”にもとることは問題視すべきである。

再びロシア語の文法性に戻ると、人間でももちろん性別が厳しくある。英語では日本人は男女関係なくJapaneseだが、ロシア語では男性日本人はЯпонец、女性日本人はЯпонкаと厳しく分けている。1つはロシアが正教と言う古いキリスト教を信仰していることが関係する。キリスト教でもプロテスタントは性平等やLGBT差別に対して意識が高い一方で、カトリックは旧態依然で神父が婦女暴行して世界的に問題になっていたりする。

じゃあ古い宗教は悪いのか?むしろ物質社会、格差社会を推し進める資本主義社会時代にあって、古い宗教の存在はますます存在感を強めている。アメリカとイランの対立を見ても、アメリカがイランを圧倒しているとは限らない。いつフランスやドイツがイラン側を支援するかもわからない。

本当に問題なのは、宗教の中の性差別ではなく、性差別の線引きについて、新しい宗教(必ずしも無宗教ではない)と古い宗教とが合意を作る過程を持っていないからではないか。もちろん新旧それぞれの宗教で独自に性差別の線引きを決めてもよいが、線引きが異なることが軋轢をもたらす。今や一方が進歩的で、他方が遅れている、と言う問題ではない(イスラム教徒だってインスタグラムを楽しんでいるのだ)。
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