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2019年06月16日22:21

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猪木とビンス(437)最終章

アブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス参戦の大義名分は「IWGP参戦の為」となっており81年5月8日、川崎市体育館でのリング登場パフォーマンスでは、IWGP参戦の為に猪木がNWFヘビー級王座、坂口がWWF北米ヘビー級王座、坂口&長州力組が北米タッグ王座を返上していますが、

それに倣ってブッチャーも保持していた「カリビアン・ヘビー級王座」のベルトを返上しています。このカリビアン・ヘビー級王座が実在していた王座かは疑問であり、少なくとも新日本プロレスとは交流のないプエルトリコのカルロス・コロンが主宰するWWC認定の王座ではないことは明らかです。

新日本プロレス側としてもこの前年80年12月13日、東京体育館のリング上で新間寿営業本部長からIWGP構想の発表があった時、IWGPの趣旨が「乱立する世界タイトルを統一しリアルワールドチャンピオンを決める」というものでしたから、従来の新日本プロレスの呼べる外国人選手だけ集めては、MSGシリーズとほぼ同等のメンバーになってしまうところから、少なくとも「世界一」は名乗り辛いところ。
 
なのでIWGPのメンバーの中に「馬場、全日本プロレス的なメンバー」をどうしても入れたかったことでしょう。

そこで全日本プロレスの悪の象徴とも言えるブッチャーと全日本では馬場、鶴田に次ぐ第3の男、タイガー戸口に手を出したと思われます。

新日本プロレスは全国的知名度を誇るブッチャーを地方大会の目玉として導入し、ブッチャーの個性を活かすことなく潰してしまった感はあります。

またブッチャーにとって不運だったのはタイガーマスク人気爆発の時代であり、ゴールデンタイムで子供の視聴者が多かったこともあってブッチャーお得意の流血試合がテレ朝上層部から「御法度」とまではいかなくともあまり望まれていなかった部分があり、そこは同情の余地があります。

猪木戦後のワフー・マクダニエルとのシングルマッチ(8分9秒、ノーコンテスト)は(82年2月5日札幌中島体育センター)テレビ生中継が入る前に試合が終わってしまいました。2月9日、大阪府立体育会館でのダスティ・ローデス戦(4分37秒、ローデスの反則勝ち)は流血戦となりましたが放送されました。外国人ベビーフェイスが相手だとブッチャーもその本領は発揮できていたように思います。

決して新日本プロレス時代、全てが駄目だったということはありません。
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