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2019年05月14日20:12

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愛知県名古屋市粕畑貝塚6 ハワイ国王と名古屋市

丹八山(たんぱちやま=旧鳥居山)の表参道沿い、頂上の縁、
将門の首塚の土手や頂上には無数の石碑が林立している。

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大きな石碑が多く、その数、50基近くありそうだ。
基本的に、初代石川丹八郎氏によって造立されたものだと思われるのだが、
その内容は丹八山と、この地域(尾張)に関するもので、
そのほんの一部を挙げてみると、

・浦島太郎誕生地碑(写真左)
・壬申の乱出兵地碑
・豊臣秀吉生誕地碑
・草薙の剣盗難事件碑
・笠寺観音本尊漂着地碑
・尾張三名山碑(もちろん、丹八山が入っている)
・尾張七崎碑
・丹八郎氏作詞の歌詞碑(複数のレコードを製作している)

など、多岐に渡っている。
ネット上で、丹八山訪問記を書いている人たちは、
丹八山に関する石碑だと誤解して驚いたり、
奇異な石碑群であると評価しているのだが、
浦島太郎・豊臣秀吉誕生地碑などに関しても、
「まさか、浦島太郎も豊臣秀吉も丹八山で生まれたの!」と驚くだろうが、
浦島太郎に関しては日本各地に伝承が存在し、
記述のある文献、『日本書紀』『万葉集』『丹後国風土記逸文』で、
それぞれ、名称、設定、細部のデータは異なり、
行き先は浦島太郎しか知らない場所であり、共通しているのは
異郷淹留譚(いきょうえんりゅうだん)であることだけだ。
豊臣秀吉は尾張生まれだから、問題無し。
他の石碑も、丹八郎氏にとって、
すべて高価なコストを掛けて築造するだけの理由のあるものばかりだ。
数ある中でも個人的に最も興味を惹かれる石碑が
将門の首塚の向かって右側の麓に設置されている
「布哇国王ノ娘ノ養子」碑だ(写真中)。
全高2mほどの大きな板碑だが、
この板碑は2代目が新たに造り変えたものらしく、
昔は表参道途中の土手に設置されており、
高さ50cmくらいの小さな石碑だった記憶がある。
「布哇」とは「ハワイ」と読む。
読めれば、日本列島とハワイ諸島はムー大陸つながりの関係にあり、
初代の石碑だった時に興味を惹かれてしまったのだが、
初代の石碑が土手から見えなくなって、廃止されたものと思い、
内容も、すっかり忘れてしまっていたのだが、
今回、新しい碑になっていることに、やっと気づき、
文字も増えているのだが、表だけ読み取ってみて驚いた。

「世界中ノ町ニ丹八山ダケガ社ヲ祀ル之ハ此碑ノ表裏記ニ困テ名古屋市長小林橘川ガ許ス丹八山ト布哇真珠湾トハ同土ナレバ
 二日本皇系ヲ奉迎セント明治十四年使節ガ丹八山ノ加具土社ヲ念ジ東京ニ参願不調トナッタ。顧レバ太古前大昔ヤワ大國ガ大爆発シ○アメリカ○太平洋○布哇○日本ト分裂シタ」

ちゃんと、「ムー大陸(=ヤワ大國?)つながり」を示唆するようなことが
刻まれていたのだ。
ただ、以下のような意味の取れない部分がある。

「布哇国王ノ娘ノ養子」というタイトルと本文の関係。
「世界中ノ町ニ丹八山ダケガ社ヲ祀ル之ハ此碑ノ表裏記ニ困テ名古屋市長小林橘川ガ許ス」
「丹八山ト布哇真珠湾トハ同土ナレバ」
「使節ガ丹八山ノ加具土社ヲ念ジ」
「ヤワ大國」

実に文章の70%くらいが、意味不明なのだが、
「太古前大昔ヤワ大國ガ大爆発シ○アメリカ○太平洋○布哇○日本ト分裂シタ」の部分は
明らかに、ムー大陸が沈んだ時の状況なのだ。
この碑の表書きの謎を解くには裏書きを解読する必要があるのだが、
裏面は笹薮を踏み荒さないと近づけない状況になっており、
遠方から撮影はしたものの、表面と違って、光線の状況が悪く、
解読に挑戦したのだが、可読性が低く、
始めてすぐにギブアップしたものだ。
ただ、ハワイ史を調べてみると、
1795年(江戸時代後期)にハワイ王国を建国した
カメハメハ1世(大王)の先祖は篠遠喜彦博士の釣り針編年研究によって、
4世紀から8世紀頃に南方の
マルケサス諸島(画家ゴーギャンが没した場所)の一部から
移民してきたと見られている。
もちろん、ムー大陸が沈んだ、ずっと後の事だ。
しかし、第7代カラカウアハワイ王は自分たちが日本人と同じく
ヤワ大國の末裔(「同土〈同士?〉」)だと考えていたのかもしれない。
しかし、なぜ名古屋(「丹八山」のある地=尾張か?)に
やって来ようとしたのかは判らない。
尾張が秦氏の開発地だと知っていたのだろうか。
実際にはカラカウア王は名古屋市にはやってこなかったのだが、
明治十四年(1881)には来日して明治天皇と会見し、
カイウラニ王女と山階宮(後の東伏見宮依仁親王)との結婚による
ハワイ王朝と皇室との間の関係強化および連邦制を提案したという。
このことが「布哇国王ノ娘ノ養子」碑のタイトルになっているのだ。
娘ノ養子は得られなかったのだが、この時、明治政府との間で
正式に移民協定が結ばれた。
そして、日本にとってハワイ王朝は不平等条約改正を約した
初の外国であったという。
天皇を掲げるシラス民族にとって、
人類は皆平等だと考えるのは当然だろう。
しかし、ウシハク民族の米国は違った。
ハワイでは次代のリリウオカラニ女王の時代に入ると、
1893年(明治時代中頃)に
カラカウア王が米国と結んだ不平等条約を破棄しようとしたため、
ハワイ領土を収奪していた米国プランテーション農場が
米海兵隊160名の支援を得てクーデターを起こし、
臨時政府を樹立してしまった。
女王はイオラニ宮殿に軟禁されたが、日本は
ハワイに移民していた邦人保護を理由に
東郷平八郎率いる軍艦「浪速」他2隻をハワイに派遣し、
ホノルル軍港に停泊させてクーデター勢力を威嚇した。
しかし、翌1894年には臨時政府はハワイ共和国を宣言、
翌1895年にはリリウオカラニ女王は廃位(ハワイ王国滅亡)し、
ハワイ共和国は米国に併合されてしまった。
日露戦争が勃発したのは、この6年後のことで、
これらのことから、米国は日本に脅威を感じるようになり、
米国は日本を牽制するために真珠湾に大海軍基地を建設し、
日本を大東亜戦争に巻き込むための工作が始められたとみられる。
米国は同じ手法で、1836年には米国移民を使って
メキシコからテキサス共和国を独立させ、
1846年には米国に併合している。
さらに米国は1894年に自作自演と言われている
アメリカ海軍軍艦爆発(パールハーパーと同じ演出)を契機に
スペインを米西戦争に巻き込み、スペインの植民地だった
キューバとフィリピン(大東亜戦争で利用した)を独立させ、
スペイン国内のバスク人を支援することで、
スペインとその流通網を弱体化させ、1968年にはスペイン領ギニアも独立させ、
その鉱石採掘権を手中に収めている。
このメキシコとスペインの現在の経済状況を見ていると、
日本の未来が予測できてしまう。
そして、米国の実行してきた、これらの手法は
現在の中国が沖縄に対して行なっている工作と共通している。
さて、沖縄は今後、ハワイやテキサスのように独立宣言を発布して、
後に中国に併合されることができるのか。

ところで、丹八山の表参道登り口には塩付街道が通っており、
丹八山の裾の街道沿いには道標も建てられている(写真右)
そこにはこう刻まれている。

「右 知多郡へ渡シ
 左 信州善光寺」
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