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2019年04月19日22:52

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過越祭

「過越祭」
《Now watching 1062》

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19856 〈写真入り記事〉

ユダヤ人の過越の祭りに参加しました。種無しパンなど儀式的なメニューの食事をしながら、出エジプトの出来事を思い出し、自由になった事を祝います。

キリスト教はユダヤ教と連動している部分があります。

キリストは、過越の祭りの最中に十字架につけられました。

ユダヤ人は、イエス様が救い主だとは今は信じていませんが、やがて信じるようになると聖書は語ります。

「こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。『救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。
これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。』」(ローマ人への手紙 11章26〜27節)

過越の祭りは、教会の聖金曜日(Good Friday)や受難日とは一味違う味わいがありました。

イスラエルは、エジプトでのつらい奴隷としての生活をこの過越の祭りを通して思い起こします。そのつらい生活を思い起こすおいしくない食べ物もあります。神がどこから私たちの民族を救い出して下さったのかを、過越の祭を通して、子々孫々に伝えているのです。そして、自由にされた事を同時に祝うのです。だから、全体的にはおいしい食べ物ばかりでした。

お祭りの前には、祈りと賛美と礼拝の時間がありました。男性の超正統派の人たちに紛れ込んで共に神を見上げました。ユダヤ人と異邦人が一緒になって神を礼拝しながら、心が熱くなり、次の聖句が思い浮かびました。

「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(エペソ人への手紙 2章14〜16節)

ユダヤ人と異邦人である私が一緒に神を礼拝するという夢のような時間でした。

しかし、やがて同じメシア(キリスト・救い主)を共に礼拝したいと切実な思いが湧き上がりました。

路傍伝道は、日本人だけではなく、日本に来ている外国人、そして、ユダヤ人にも伝道をして行きたいと決意しました。
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