4月12日
狂気を捨てる
アルコールが絡むと私たちは信じられない狂い方をしている。
アルコホーリクス・アノニマス 57ページ
アルコホリズムのため、飲みたいとか飲みたくないとかの気持ちとは無関係に、ともかく飲まなければならなかった。狂気が私の生き方を支配し、狂気が私の病気の真髄だった。飲むか飲まないかの選択力が奪われ、だからこそ、それ以外の選択力もすべて奪われてしまった。飲んでしまえば当然どんなことであれ、きちんとした選択ができず、だから生きることがどうにもならなくなった。
アルコホリズムという病気の意味をすべて理解し、受け入れることができるよう、私は神に祈っている。
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「今日を新たに」 2004年5月31日 翻訳改訂版発行
AA日本ゼネラルサービスオフィス(JSO)発行
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4月12日
ソブラエティの世界は、アルコホーリクにとって心地よい場所である。アルコホリズムの霧から抜け出ると、目前に広がる世界は美しく心地よい。AAに参加して本当の友を見いだす。職に就く。朝の目覚めがすがすがしい。朝食がおいしく、一日の日課を好調にこなせる自分を見いだす。家族に愛され、受け入れられていることを感じる。すべてはソブラエティから始まる。
ソブラエティの世界は、アルコホーリクにとって心地よい平安な場所であると納得しているか?
黙想
私たちが必要を感じるとき、それは神にとってチャンス到来の時である。私たちは、まず自分の中の“必要”を認識しなければならない。“必要”はしばしば、“どうしてよいか分からない頼りなさ”を意味する。自分の弱さや病に対して助けが必要であるということを認め受け入れることである。次に、神の力への信頼である。私のこの“必要”に応えてくださるという信頼である。いかなる必要であれ、それが満たされる前に、私の神への信頼が表現されなければならない。神の力が働かれるときに必要なことはただ一つ、この信頼の表現である。神の無限の倉庫を開く鍵は信頼である。
祈り
私の必要を認め、受け入れさせて下さい。全能のあなたの判断の中で、私の必要が満たされることに信頼を置くことができますように。
ホームカミング社 「一日二十四時間」より
※私の独り言※ 少しこの世界になじみが出てくると、私たちアルコホーリクは自分たちでさえ手に負えない狂い方をしていることを認識します。あんなに飲まないでいることは素晴らしい、と言っていたその人がある日飲んだくれて飲酒をやめることを頭から拒否してくる、あんなに飲んではいけない理由を山のように身につけたはずなのに、ふっと気がついたら飲んだくれている。まともに考えていたら、同じアルコホーリクでもまじめに対応できないほどです。
でも、それがアルコホリズムが病気たるゆえんなのでしょう。ごく普通の人ならそんなことを受け入れることは難しいのでしょうが、私たちアルコホーリクがそのことを理解し、受け入れてやらないと仲間たちは行くところがなくなってしまいます。もっとも、そのことが大変なことは分かりきっていますが。そしてそれ以上に、私たちは飲酒だけでなく、他の方面でも時として常軌を逸してしまう仲間がいることを、受け入れながらAAをやり続けていく必要があるのではないでしょうか。
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山口、AA宇部グループ Mike(マイク)
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