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2019年03月15日17:01

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「表現の自由」との整合性。

おそらくは既に散々出尽くしてると思うし、この考察については
これまで事ある毎に湧いて来た話でもあるんで、今更感はあるけども・・。

事件を受けて、以後の活動が当面見送られるということは必然だけども、
過去に出した作品や正当行為の数々が、全否定される論理の整合性はつかないのよね。

とりわけ文化事業に関する分類は、都度にある作者や演者の“感性”を持って、
ある種「当人人物からは浮遊〜離脱して」生まれ出るものであり、
基本線としては“フィクション(作り物)”なんだから、そこに作者演者の素行や
人生遍歴など“直接的には”無関係なもの。

無論、中には密接的な作品だったり、作者演者のキャラクターが割りと強めに
反映されているものもあるので、その点で「完全分離」が出来るかどうかについて、
容易ではない実態もある。

とはいえ「作品は作品」。坂本龍一氏のコメントじゃないが、
それを拒絶したい、あるいは自身の感情や感性として受け付けられないなら、
買わず聞かずに避けて通ればいいわけで、ここに何らの強制性はないのだから。

が、「聞ける、買える」という状態が“社会的に不健全な空気をもたらすことになる”
というロジックで正当性を持たそうとすれば、その場合「表現の自由」に関する
明らかな矛盾や不整合性とぶつかり、そのための別な正当論理を用意する必要がある。
が、それに該当する論理というのは表立って見当たらないし、
そんな論理を無理矢理作ったならば、明らかに“自由社会”に異を呈す思想の持ち主・・
との解釈をもたらす。

つまり、この場合単純な話「感情論」であって、単に世俗間の中の
「点在する感情要素」程度のものに、ハリボテ式で拙速に適当なロジックを
貼り付けてるだけに過ぎず、骨格も何もない状態・・ということになるのね。

この場合を、文化や芸能という特殊な領域ではなく、一般の場面に下ろしてみると・・。

商売主でもいいし、一般サラリーマンでもいい。
ある時その当事者が行っていた商売や営業活動において、内容や手段・手法が
評価を受けて個人や企業などが購買したり、何らかの契約等をもたらしたとする。

ところが、以後に本人が犯罪行為を犯し、社会的立場を損ねたとした時。
以前行っていた正当な行為も評価も、犯した行為によって全てが虚偽となるわけでも、
全てが事実ではなかった・・とすることにもならないのであって。

そこに派生するものは、単に「あの時の行為内容と犯罪による印象が合致しなくなった」
という“感情要素”だけの話で。当時評価したことにより、以後製品や契約内容に
何の問題もなく使用出来ていたり、機能を果たしている限り、当事者に拠る以後の行いは
直接的に何の影響はないわけで。持つイメージや印象として、どうしても今まで通りに
使えなくなった・・というのなら、それはそれとして使用をやめるなり破棄するなり
自由に行えばいいわけで、製品や契約内容自体は本人の行為と全く別物なんだから。

この切り分けや棲み分け、整理が正しく出来ないと、少なくとも自由社会を享受し
今を生きる者としては、甚だ息苦しくなるばかりか、
寧ろ自分の首をも絞めることになる・・

という認識を持つべきでしょうなぁ。。

■定額制でも楽曲聞けず「CDはまだ必要だな」 ピエール瀧逮捕めぐる自粛に不満の声、坂本龍一は「聴かなければいいだけ」
(BIGLOBEニュース - 03月15日 12:00)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=258&from=diary&id=5539278
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