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2019年01月31日01:21

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歌枕紀行「祇園中道」14

 「八坂さんにもお詣りできたし、さぁ帰ろっるんるん」と正門に向かいます。この参道がまた、門はデカいくせに裏路地みたいに狭くって、ギュウギュウの人波に揉まれて、何だかトコロテンになった気分あせあせ(飛び散る汗)

 八坂さんの正門前は、祇園祭の御神輿(オミコシ)が、四条京極にある御旅所へ向けて出発するところ。毎年、本宮の夕方になると、府知事の「いてまえ〜!」みたいな掛け声とともに、三基の御神輿をハデに揺さぶりながら出陣式を行ないます。地方から観に来る人は、「山鉾巡行=祇園祭」と思っている人が案外多いのですが冷や汗、あれは、室町通周辺の氏子さんが神さまをもてなすためのサブイベントで、こちらがメインイベント位置情報

 京都と言うと、お上品で淑(シト)やかなイメージがありますが、御神輿をかつぐ氏子さんは、祇園の歓楽街の人たちなので、なかなかのコワモテぞろい。ボルテージが上がりすぎて大喧嘩が勃発することもしばしばですむかっ(怒り)

 さて、帰ろうと思ったけど、よく考えてみると、年越しそばを食べてから何も食べていない・・・。「少し腹ごなしでも」と思い、八坂の塔のあたりへ寄り道することにしました。

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●仲正*力及ばざりければ*、院*聞こし召し煩(ワヅラ)ひて、その時
(仲正は役に立たなかったので、白河上皇は御不快になられて、当時)

 盛重*が検非違使(ケビイシ)にて候(サブラ)ひけるを「この髻(モトドリ)*切りたりと云ふ男
(盛重が検非違使としてお仕えしていたのだが、彼に「この髻を切ったという男を

 構へて捕へて、参らせよ」と仰せられければ、承りて、内々彼が縁(ユカリ)を尋ねて
(なんとかして捕えて、ここに連れて来い!」と仰せられたので、盛重は承って、内々に男の親族を探し出して)

 母の尼公が家*を、暁夕暮ごとに伺ひけり。
(母親の尼さんの家を、日の出と日没ごとに監視していた。)


【仲正】生没年不詳、清和天皇の末裔・源頼綱の子、『平家物語』の主要人物・源頼政の父。白河上皇の寵臣
【力及ばざりければ】事の発端は天応元年(1108)四月。かねてより、時の皇后に仕える絶世の美女をめぐって藤原佐実と対立していた仲政は、家来を使って脅しをかけさせたが、その中の一人が勢い余って佐実の髻を切ってしまう。事件を聞いた白河上皇は激怒して、犯人を捕えるよう命じるが、仲正は「切っていない」としらを切り、佐実は「切られていない」と体裁を繕うので、一向にらちが明かない。密告に依りどうにか犯人を特定したものの、すでに行方をくらましていた
【院】白河上皇、1053-1129、後三条天皇の子。藤原道長の娘らが立て続けに皇后となったことで、その家系が長らく国政を意のままにしていたが、やがて非道長系の皇子・後三条が即位。後を継いだ白河は王権復活をもくろんで、中流貴族や有力武家を味方につけたうえで、幼な子に譲位して権力を掌握した
【盛重】生没年不詳、藤原氏の傍流出身。少年のころ、眉目秀麗を白河上皇に見初められて、男色相手を務めたという。頭脳も抜群で、上皇のふところ刀として活躍した
【検非違使】京の治安維持をつかさどる警察組織
【髻】髪を頭上で束ねた部分。これを切り取られることは、男にとって恥辱
【家】京の中か。犯人が出入りすると予測


●かかる程に、或る朝ぼらけに、法師の女の姿をして*門(カド)を叩く事あり。
(そうしているうちに、ある夜明けがたに、女装した法師がやって来て、家の門を叩いた。)

「これ、常(タダ)にはあらじ」と怪(アヤ)めて、やがて搦(カラ)めて、これを問ふに
(盛重は「これは臭うぞ・・・」と不審に思って、すぐにとっ捕まえて、この法師を尋問すると)

「我は誤たず。かの人の在所は、清水坂*の然々(シカシカ)の所なり。その便りに
(「俺はやってないよ! その人の居所は、清水坂のどこそこの所だ。俺は、やつの伝言を母親に伝えるために)

 詣(マウ)で来たるばかりなり」と慌て騒ぎければ
(訪ねて来ただけなんだ!」と慌てて大声でわめくので、盛重は落ち着かせようとして)

「わ法師をいかにもすべきにはあらず。彼処(カシコ)の知るべき料なり」とて
(「お前さんをどうこうしようってつもりはない。やつの居所を知るために捕まえたのさ」と言い訳して、心のうちに)

「程経ば、帰りもぞ聞く」とて、やがて打ち立ちて、搦めに行くに
(「あまり時間が経つと、捜査のことを聞きつけるかも知れん」と思って、すぐさま部下を引き連れて清水坂へ向かって、犯人の隠れ家に突入すると)

 彼処に思ひも寄らぬ程なりければ、煩(ワヅラ)ひなく搦めて、帰る。  
(先方にとっては寝耳に水だったので、難なく捕縛に成功して、白河上皇のもとに帰ることにした。)


【女の姿をして】尼の家なので男の来訪は怪しまれる。犯人の指示か。有能な捜査官の盛重は、すぐに見破ってしまう
【清水坂】清水寺の参詣道。五条大路の末(今の松原橋)から登る。当時、参詣人めあての盗賊や乞食がたくさん住み着いていた

                                      
●盛重、思ふ様(ヤウ)は「六波羅*に刑部卿忠盛*居られたり。その傍らを過ぎば
(その時、盛重が思うには「六波羅には刑部卿の忠盛さまが住んでおられる。その傍らを通過したら)

 奪われなむず。痴(ヲコ)の事に成りなむず*」と思ひて、すずろなる法師を捕へて
(彼の家来に手柄を横取りされてしまうかも知れん。きっと馬鹿な目を見るに違いないぞ・・・」と思って、一計を案じて、何の関わりもない法師をとっ捕まえて)

 をかしき者に為して、そなたへ遣りつ。真の者をば人少なにて
(いかにも罪人のように仕立て、部下に護送させて、そちらへ向かわせた。それから、真犯人を少人数で護送して)

 祇園中道*と云ふ方より、忍びやかに遣りてけり。さりけれど、忠盛
(祇園中道のほうから、こっそり帰ることにした。そうすると、忠盛は)

 由(ヨシ)なくや思はれけむ*、ただ過ごしてけり。
(偽者だと気づかれたのだろうか、何もせずに通過させた。)


【六波羅】清水坂のふもと付近。平安遷都以来の火葬場だったが、平家一門が開発に着手し、長年をかけて広大な邸宅を建造した
【忠盛】1096-1153、桓武天皇の末裔・平正盛の子、清盛の父。正盛とともに白河上皇に仕え、数々の武功を上げて、一門で初めて昇殿(皇居への出入)を許された。この時は若干13才で、左衛門少尉(皇居の門を警備)。3年後には検非違使に任じられている。「刑部卿」は晩年の官職
【痴の事に成りなむず】お互い白河上皇の寵臣なので、対抗意識がある
【祇園中道】今の東大路通か。清水坂から八坂神社の門前を経て、白河上皇の御所(平安神宮の西方)に通じる
【由なくや思はれけむ】「横取りは難しいと思われたのだろうか」の意かも知れない


●その時、清水の大衆、怒りて「この御寺の辺(ワタリ)にて*そぞろに人を搦(カラ)める事
(さて盛重一行が帰ろうとした時、清水寺の多くの僧侶が怒って「この御寺の近辺で、勝手に人を捕縛する事は)

 昔よりこれなし。例ひ犯しの者なりとも、別当*に触れてこそ搦められめ」
(昔より禁じられている! 例え犯罪者であっても、別当さまに報告したうえでなければ捕縛できないはずだ!」)

 と集まり群がりて「いかにも通さじ」としければ、煩(ワヅラ)はしくて
(とわめきながら群集して「絶対に通さんぞ!」と道を塞ぐので、盛重は面倒に思って、イチかバチか)

 ふところより、畳(タタウ)紙*に文(フミ)を作りて、差し出(イ)だして言ふ様(ヤウ)
(ふところより、畳紙を公文書のように見せかけながら、差し出して弁解するには)

「いかでか触れ奉らでは搦め侍(ハベ)らむ。「それに帰り聞かせじ」と隠しつれば
(「どうして御報告もせずに捕縛することがありましょうか? 実は「事前に報告すれば、犯人が聞きつけるかも知れない」と警戒して秘密裏に動いていたので) 

 披露はせず。この暁、別当のもとへ触れたりつる請け文、これにあり」
(お知らせしなかったのです。しかし、この夜明けがた、隠れ家に突入する寸前に別当さまのもとへ報告いたしました。その許可状が、これでございます!」

 とて差し出だしたれば、「さては左右(サウ)に及ばず」とて通しけり。
(と一席ぶって差し出したところ、僧たちはよく確かめもせずに「そういう事情なら差支えなかろう」と納得して通過させた。)

 この次第、院、聞こし召して、誠に感じ思(オボ)し召されけり*。
(この一部始終を、白河上皇がお聞きになられて、盛重の利口さにたいそう感心なされたそうな。)


【この御寺の辺にて・・・】清水寺の周辺は、世俗権力が及びがたいと見なされていたらしい。犯人もそれを頼みにしていた
【別当】寺社の統括責任者。当時は奈良の興福寺に属していたので、そこから派遣された僧か
【畳紙】たたんで懐中に入れた紙。鼻をかんだり歌を書いたりする。以下の発言は、意味がやや不明瞭。逮捕を急いで報告を怠ってしまったが、今さら犯人を返す訳にもいかないので、畳紙を許可証に見せかける奇策に打って出たのか。盛重の聡明さが分かる一コマ
【感じ思し召されけり】この功績により従五位下(貴族)に昇進し、馬を賜ったという。この後の展開は、犯人はすぐに自白したものの、肝心の佐実が見栄を張って、被害を認めようとしない。またもや事実確認を命じられた盛重は、彼を酒宴に誘い、酔っぱらったふりをして烏帽子を突き落とすと、案の定、髻(モトドリ)がなかった。これで犯人と仲正の罪が確定したが、佐実はあいかわらず「髻はある!」と言い張っていたという

                             『十訓抄』巻4・第3話

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