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2019年01月22日07:17

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0.1%

 来年度の年金は「o.1%の増額」というニュースが先日流れていました。厚生労働省のことですから、きっとこれは本来の数字が「3分の1」になっているんでしょうね。

【ただいま読書中】『シンガポール占領秘録 ──戦争とその人間像』篠崎護 著、 原書房、1976年、1400円
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B000J9EKZI/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B000J9EKZI&linkCode=as2&tag=m0kada-22&linkId=10dbddc93f8e8ddeeadab1ac9f58dea0
 シンガポールの領事館で新聞報道を担当していた著者は,開戦直前にスパイ容疑で逮捕され刑務所に収監されました。淡路島くらいの大きさのシンガポールは全域が戦場となり、刑務所の中で著者らは激しい戦闘を目撃、そして日本軍によって刑務所から解放されます。
 一般兵は市内に立ち入り禁止、憲兵だけが往来していて、とりあえず(破壊の跡はそのままだし死体も転がっていますが)市内は平穏でした。著者は参謀本部で嘱託として外国人(中立国人、第三国人)保護を命じられます。
 郊外の英国人居住地域は、略奪のルツボとなっていました。あ、略奪をしているのは、日本軍人ではなくて現地の群集です。
 日本軍が迫ってくる状況下、総督は刑務所に収監していた共産党員の中国人青年を釈放、抗日義勇軍を急ごしらえで組織させます。華僑青年たちはゲリラ戦で勇猛に戦いましたが、それが日本軍の怒りを買いました。また、シンガポールの華僑たちが中国の抗日組織に献金していたこと(さらにそれを新聞で発表していたこと)に対しても怒っていました。シンガポールが陥落したのは昭和17年2月15日ですが、2月19日には「18歳〜50歳の華僑男性は全員出頭せよ」という命令が出されます。「抗日義勇軍」「共産党員」「抗日団体員」「抗日運動への献金者」をあぶり出すためです。この集団検問で20万人以上の華僑が集められ、最終的に6000人(日本側の発表)あるは4万人(華僑側の調査結果)の華僑が殺害されました。著者は「保護」を命じられた立場ですから、できる限りの努力(「保護証(日本への協力者である、とのガリ版刷りの証明書)」を発行したり集団検問に出向いて直接引き取ったり)をしました。この「粛清」については日本軍内でも意見が割れていたようで、司令部内などでの生々しい発言が紹介されています。
 このまま軍が突っ走るとまずい、と、著者は華僑有力者に働きかけて「昭南華僑協会」を結成します。建前は「華僑が日本軍に一致団結して協力する」ですが、本音は「このままだと殺される華僑たちの救出と保護」(ちなみに、中国でも似た建前で「治安維持会」がたくさん作られましたが、ことごとく失敗したそうです。失敗の主原因は日本軍の過干渉と暴走)。最初は軍の影響を排除できてうまくいきそうだったのですが、軍政部長がタカ派に交代すると著者は華僑協会から退かされ、日本軍は「5000万ドル(全財産の8%)献金」を華僑協会に申し渡します。
 これらの「粛清」と「強制献金」によって、華僑たちの心は日本軍から離れた、どころか、「抗日」になってしまった、と著者は考えています。上手くやれば(たとえば旧宗主国のイギリスに対する不満をあおることで)味方になっていたかもしれないのに。
 「支配地には日本語普及」の大方針から、著者は教育科長に任命され、シンガポールでの日本語教育を命令されます。学校なし、教材なし、教師なし、なんですが。軍は色々命令しますが、著者はそれを「デスク・プラン」と表現しています。机上の空論、ということかな?
 軍のお偉方が熱心にやっていたのは、日本からひいきの料亭を引っ越させること(三味線と嬌声が夜のシンガポール、もとい、昭南特別市に満ちたそうです)。それと、ゴルフ。大達市長は三味線と憲兵が大嫌いだったそうで、すごくストレスフルな毎日だったようです。
 戦況は悪化し、食糧や物資が入ってこなくなります。人々は代用品の生産を熱心におこないますが、これが後の工業立国につながった、と著者は考えています。食糧不足対策として日本軍部は人減らしを考えます。香港でやったのと同じですね。その責任者を命じられたのが、また、著者。民政に関して人材がいないのか? まずはマレーシア半島のジャングルを切り開いて土地を作ります。著者は華僑協会で「疎開地に憲兵は一切立ち入らない」と保証。華僑たちは喜びますが、日本人は「華僑のために治外法権区域を作った」と批判しました。集団移住は最初は順調でしたが、開拓地経営が軌道に乗り始めると、抗日ゲリラが襲撃してくるようになります。日本軍の言いなりになった裏切り者、と言うことなのでしょう。
 一般日本人は「現地抗戦」体制のままでしたが、昭和20年8月18日、科長以上が軍司令部に集められ「広島・長崎に新型爆弾、ソ連が参戦、敗戦」のニュースが伝えられました。その夜、あちこちの兵営では自決の銃声が鳴り響き、それから大混乱が起きます。抗日ゲリラは抗日の英雄、日本軍政下で華僑のために働いていた華僑たちは漢奸(裏切り者)、と「大逆転」が起きてしまったのです。ただ抗日ゲリラたちは、著者を「華僑の保護者」と見なして、保護してくれました。情けは人のためならず、って、こんな時に使う言葉でしたっけ? それどころか、敵性国民として戦争中は収容所にずっと入れられていた人たちからまで「篠崎は助けてやってくれ」の嘆願が続々とあったというのですから、著者は一体どんな人間だったのでしょう。
 市政庁舎の職員たちと「なぜ日本は失敗したのか」の反省会で、「多民族国家では、日本人が統治するのではなくて、現地人によって統治させるのがよかった」と結論が出ますが、これは、死児の齢を数えるに等しい、と著者は考えています。
 おっと、本書の最後のあたり、シンガポールでの対日協力者裁判で証人として立たされた著者の発言や行動から「どんな人間だったのか」はよくわかります。というか、新聞記事をゆっくり読むと、私は泣きそうになります。その直前の著者の記述とほぼ同じ内容なんですが、英字新聞の記事だからゆっくり読まざるを得なくて、その分心に染みてきたようです。前例のない判決が下り、以後英軍兵士は著者を「ジャップ」呼ばわりしなくなったそうです。
 「シンガポールの実相」は、日本ではほとんど伝えられていません。しかし現地の人は、祖父母から親へ、親から子へと伝え続けています。その“落差"について、著者は危機感を感じて本書を著したそうです。おそらく、こういった場合「無知は罪」なのでしょう。


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