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2019年01月01日11:58

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恩赦という絶望

山本宏子

昭和24年、貧困から強盗を働き、高利貸しを殺し放火、その配偶者も死なせる。
戦後初の女性死刑囚となった。

そんな山本に昭和26年、サンフランシスコ講和条約発効に伴い、恩赦が検討された。
山本含む15人が対象となったが、恩赦となったのは山本以外の14人だった。

貧困ゆえの殺人で、世間からの同情も多かった。
判事でさえも「放火さえやっていなければ」と言って残念がったという。

その後の昭和34年、皇太子(今上天皇)ご成婚で再び恩赦が検討されたが却下された。

生への期待と、それを裏切られた絶望感。ついに山本は狂った。

拘置所内で、意味不明の言動をしたり、架空の人物に宛てた手紙を書くなど奇行がめだった。

昭和44年、山本に特別恩赦が下る。「事件は同情できる物があり、拘置所内でも模範的であったため」というのが理由だが、実際は病気が回復する見込みがなかったためだろう。すでに恩赦が理解できないほど、精神は破壊されていた・・・

昭和53年、結核のため病死。恩赦に狂わされた心は、二度と元に戻る事はなかった。



■死刑執行見合わせか=政府、大赦も検討−皇位継承
(時事通信社 - 01月01日 08:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=5441789
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