先日、米百俵という映画を見て、飢えても学問に重きを置く姿勢を見た訳ですが、
日本人に取って学問と言うのは非常に大切で、
原爆投下後の広島で、焼け残った机を並べて勉強する写真や、
東日本大震災の時、避難所で勉強する子供の映像を見ると、
そこまで頑張れば、後々何か良い事が起こりそうな気もします。
海外では日本では考えられないような事態が発生する様です。
The Telegraphの記事によると、スウェーデンのルンド大学の論文執筆中の学生
フィラス・ジュマさんが家族を心配して過激派組織「イスラム国」の戦闘地域に帰省、
分析化学を指導するハロッタ・トゥルネル教授は、2014年にジュマさんから
「町の外側にはイスラム国の戦闘員がうろついており、銃声が聞こえてくる。
閉鎖された化学薬品工場に家族で逃げ込んだが、1週間以内に戻らなければ
論文を書き上げることができない」
とメッセージを受け取ります。
ジュマさん一家は、イスラム国に悪魔の邪教と見なされているヤジディー教を信仰。
ジュマさんは
「僕は絶望していました。担当教授にただ、その時の状況を伝えようと思っただけで、
教授が僕らのために何かしてくれるとは思ってもいませんでした」と。
しかしトゥルネル教授には、ジュマさんの博士論文を未完に終わらせる気は全くなく、
「イスラム国が私たちの世界に踏み込んで来て、博士課程にいる私の学生を危険にさらし、
研究を妨害していることに心底、怒りが湧いてきました」と大学の上司に相談。
上司はゴーサインを出し、『やってみなさい』と。
次に大学の警備部長、ペール・グスタフソン氏に相談。
「世界中を対象地域にしている警備会社に依頼できると」
警備会社は、ジュマさんの救出作戦を計画。それから数日後には、
重装備の傭兵4人を乗せた2台のトヨタ・ランドクルーザーが、ジュマさんが隠れている地域に到達。
ジュマさんと妻、そして幼い2人の子どもを救出、イラク北部のクルド人自治区の都市アルビルの空港へ。
同時に、母と姉妹を置いてきてしまったので、自分を臆病者のようにもと。
しかし、幸運にも、残った家族も全員、イスラム国の占領を生き延びたそうです。
ジュマさんはスウェーデンに戻り、博士号を取得。今はスウェーデンの製薬会社で働いているとの事。
これは警備会社と言うより、民間軍事会社でしょうね。メキシコの一件と比べて真反対の用途ですね。
これは軍事と言うもののベクトルが、使う人間によって決められると言う事で、
国家に属する軍隊でも同じ事だと思います。
しかし、フレデリック・フォーサイスの小説みたいな話ですね。
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