■推しメンに名前を覚えてもらえる? 芸能人にファンレターを書く理由とは
(しらべぇ - 12月15日 21:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=5420745
芸能人…俳優や声優も芸能人さんですよね?
生涯初のファンレターを書いたのは小学校3年生のとき。
相手はアントニオ猪木さん。
時期的にモハメド・アリとの異種格闘技戦よりもあとの1977年の初春でした。
別に異種格闘で猪木さんをチェックするようになったわけではなく、「おはじめ」はアニメ「タイガーマスク」の協力者(?)として名前を知ることになりました。
次いで、当時夢中になってみていた「プロレスの星 アステカイザー」にも登場している姿を見て
「ああ、この人は正義の味方の味方だから、きっと正義の味方なんだろう」
と思ってはがきに思いのたけを鉛筆で書き
新日本プロレスの所在地は姉が購読していた学年誌の付録で仕入れ
宛名書きは母がしてくれました(と、いうよりも 本文を書いた時点で力尽きて爆睡してしまったため、寝ている間に母が書いてくれました)
小学校3年生の末期に投函したのですが お返事(?)が来たのは小学校4年生になってから。
経緯は忘れましたが その日は学校からの帰宅後に母から厳しく叱責され、泣きじゃくりながら自分の机に向かいました。
すると机上にオレンジ色の大きな封筒。
封筒表面下部に印字されていたのが「新日本プロレスリング株式会社」の文字。
手紙を書いたことなどすっかり忘れていた自分は訳も分からず封筒を開封。
中から現れたのは
こちらでした。
次いで俳優の宮内洋さん。
彼が演じた4大ヒーローにまさしくドハマリしていた児童〜少年時代。
1981年に近隣商業施設のアトラクションにお越しになって
その10年後の
1991年にも同じ商業施設のアトラクションに登場。
当時は連続幼児殺人事件の余波もあり、ヲタク系の青年は白眼視される風潮があり 当初は宮内さんも困惑していた様子でしたが「10年前もここでお目にかかりました」の旨を話したところ 破顔一笑。
時を置かずにファンレター&「テレビ東京・お正月12時間宮内洋スペシャルドラマ」の企画書を進呈しました。
結果届いたのはこちら。
サイン色紙なんかよりも 遙かに価値がありますね。
ほかには声優の高橋美紀女史。
ファンレターで自分の近況(体調だとかテストの成績など)を報告すると、ほぼ完璧に記憶していて次の対面時にはそれを話題にして会話が弾むような…
様々な営みがありましたが 引退(?)時にいただいたのはこちらです。
時間が前後しますが
声優(その他いろいろご活躍)の郷田ほづみさん。
1983年8月にファンレター(バースデーカード)を贈ったのが端緒となりまして、その際いただいたのはこちら
その後25年という長い時間を積み重ね 漸くご対面(2008年)という経験をしました。
名前を憶えていただけるかどうかはさておき(猪木さんを除くお三方には憶えていただいていますが)、ファンレターはご本人さんの目にちゃんと映っていますよ。
「誰?こいつら知らないよ。それほど有名じゃなくて、暇だから手紙読む時間があったり返事を書く余裕があるんじゃないの?」というツッコミが脳裏で起動している方もいるでしょうが、そういう方に贈る言葉はありません。
遠すぎず近すぎず彼らのお姿を見てきましたが 決して暇な方達ではありませんでしたよ。
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