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2018年12月02日10:28

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極私的生熊奈央論

BankART義塾の課題として制作した図録「生熊奈央 細密銅版画の極致へ」用に書いた原稿の一部です。今のところ、発表する予定のない原稿なので、ここで公開します。

極私的生熊奈央論

 ラテンアメリカ探訪の世話人であり、「ラテンアメリカ探訪アート展Nosotros」の総責任者である、人形作家の西村FELIZは、「リプレーザ」第三期第二号の中で、生熊奈央の銅版画について、こう記している。
 「銅版画家の生熊奈央さんの作品は、一般的なラテンアメリカのイメージとはまるで真逆なモノクロのダークファンタジー。白と黒によるコントラストな平面というのは、暗順応してしまうせいか色彩豊かな作品よりも見ている人に立体を感じさせているように思う。自分が作品を作る際には『明るさ』を重視しているせいもあって、真逆を行く生熊さんの作品には自分には作れない世界観を感じつつ、更には線の細さ、莫大な線の量等、こちらもまた個人的に羨望の固まりのような作品である」
 私が生熊さんの作品と初めて出会ったのは、国立新美術館で開催されていた、二〇一〇年度の多摩美大他の合同卒業制作展でのことで、概して、鮮やかな彩色の作品が並ぶ中で、彼女の巨大な銅版画二点が展示されている、その周辺だけが、あたかも、まるでブラックホールか何かであるような、異質な空間というか、ダークサイドに支配されていた。一見して、あっ、好きだなと思い、さらに一歩、近づいてみて、その、並々ならぬ線描の凄さ、緻密さに、驚愕した。今となっては記憶が定かではないが、多分、作品の下に置いてあった感想ノートか何かに、率直な驚きを記して帰ったところ、その後、生熊さんから連絡をいただき、それから、彼女の個展や、参加するグループ展等に、足を運ぶようになったのである。その作品も、今では私の所蔵している作品だけで、大きな個展が開けるほど、持っている。
 私が編集委員(現編集長)をつとめていた「リプレーザ」という雑誌に、出会ってまもなくの、まだ、多摩美の院生だったころの生熊さんにインタビューした記事が、掲載されている。そこでも卒業後の進路について、彼女は語っていたが、新宿にあるという銅版画の工房に入られることはなく、故郷の静岡に戻られることになった。でも、コツコツと制作を続け、ほぼ毎年、個展を開催し、さらには、日本版画協会版画展で、奨励賞を受賞される等、銅版画界での評価を、定着させつつあるように、思われる。
 彼女の作品を観ていて、感心するのは、観る度に、細密さがより増し、細密銅版画の、文字通り、その前人未踏の極致を目指されていることが、実感出来ることだ。
 私と西村さんが中心となって、二〇一七年と二〇一八年に開催した「ラテンアメリカ探訪アート展Nosotros」の図録の中で、自らの創作について、彼女はこう語っている。
 「版画は漫画のコマ割りを考えるようにして、描画しています。即興で、ひたすら画面の余白と、目線のリズムを考えながら作っています。ここにこれを置いてしまうと見るリズムが狂うので、狂わないリズムを探しながら物を配置してゆく。閉ざされていて、入ったら二度と出られないような空間を、理想として描いています。
 描くモチーフは高校時代から今も変わらないです。人間を描く時は、腕が描きたいから、足が描きたいからというところから、始まったりしています。二年前からビーグル犬を飼い始めたんですけれど、それから四足動物を作品に入れることが多くなりました。他に今はアシダカグモを飼い、その餌になる虫も長年繁殖させていたりと、家の中に生命のサイクルがあったりして、制作に影響を与えているかもしれません。大きい作品になると労力も大変ですけれど、版画の構図が決まるまでが本当に大変で、目線の流れとか、物の疎密とかバランスとか。最終的にもうわからないっていうところもあったり。どうにもうまくいかない時は版を一旦放置したりすることもありますが、時が来たら必ず仕上げるようにしています」
 また、こうもいう。
 「制作は無理のない範囲を心がけています。三年前くらいに酷使から肘を壊してしまって、本当に後悔しています。筆圧が知らないうちに強くなっていて、そこから肘が上がらなくなってしまったんです。線を的確に引くように集中していたら筆圧も上がっていたみたいで、神経の繋がりで肘に来たようです。筆圧が上がらないもうに、身体を壊さないように、無理をしないように地道に進んで行くよう、気をつけています」
 肘を壊してしまうほどの集中度、そうしたギリギリの極限状態から、彼女の細密銅版画は、つくりだされているのである。
 井の中の蛙、大海を知らずという、ことわざがある。しかし、井の中であれ、極めれば、それは大海へとつながることもあると、私はそうも考える。生熊さんの制作への並外れた努力が、やがて、大海へとつながる未来を、私は夢見ている。
 西村さんと私が始め、その他、多くの方々の、有形無形の尽力で成り立っている「ラテンアメリカ探訪アート展nosotros」に、生熊さんは二〇一七年、二〇一八年と、連続して、出展して下さっている。この展覧会は、「ラテンアメリカ探訪」という集まりに、何らかの形で関わって来られたアーティストによるグループ展であって、必ずしも、ラテンアメリカを直接、題材にした作品のみが出展されているというわけでは、ない。生熊さんの出展作品なども、一般的な人が、ラテンアメリカに対して抱くイメージからは、大きく、かけ離れた世界であるのかも、しれない。
 同展への出展が、果たして、生熊さんにとって、プラスになるものかどうか、私にはわからないが、それでも、来年も、是非、彼女には出展していただきたいと、私はそう願っている。



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