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2018年11月15日10:28

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『孟子』巻第十萬章章句下 百三十五節

                        百三十五節
萬章は尋ねた。
「あえてお尋ねいたしますが、交際にはどんな心掛けが必要でございましょうか。」
孟子は答えた。
「恭、乃ち慎み敬う心だ。」
「では相手の贈り物は辞退すべき理由があるときは、受け取るべきではないと思うのですが、そうすると不恭だと言われるのはどうしてでございますか。」
「尊貴の方が贈り物をされた時、尊貴の方がそれを手に入れたのは義に適っているか、いないかということを考えて、義に適っていれば受け取ると言うのは、尊貴の方の行動を疑っていることで、相手に対して不恭である。だから何も言わずに受け取るべきである。」
「ではその贈り物が不義な手段で手に入れたとして、それを断るのにその事を口にせず、心の中では、これは不義な手段で手に入れたのもだから受け取らないのだと言い聞かせ、実際は他の言い訳で断るのはいけないでしょうか。」
「尊者が道に適った交わりを求め、礼に適って接してくださるなら、孔子でも断らないだろう。」
萬章は言った。
「仮に都の外で強盗した男がいるとして、その男が道に適った交際を求め、礼に適った方法で贈り物をしたら、それが強奪したものでも受け取るべきなのでしょうか。」
「受け取るべきではない。『書経』の康誥篇にも、『人を斬り倒して殺し、その財貨を奪い、愚かにも死を懼れないような者は、すべての民が怨みに思う。』とあるように、そのような者は教え諭すまでもなく、即座に死罪に処すべきである。これは夏から殷へ、殷から周へと伝えられてきた厳然たる明法である。このような悪人からどうして受け取ることができようか。」
「今の諸侯が、人民から取り立てるのは、全く強盗と変わる所が有りません。それでも礼儀に適って贈り物をしてくれば、先生のような立派な君主でもお受け取りになります。それはどいうわけでございますか。」
「お前は、今もし真の王者が出現したとしたら、諸侯を片端から誅殺すると思うか、それとも先ず教え諭して、それでも改めなければ誅殺すると思うか。勿論後者だと思うが、自分の所有でない物を取ることを盗と言うが、諸侯が人民から取り立てる物を民から盗んだ不義の財貨だというのは、あまりにも極論ではないか。孔子が魯に仕えたとき、狩り比べをして獲物の数を競いあったが、孔子もこれに参加した。意に沿わない諸侯の狩り比べにさえ参加するのだから、贈り物を受け取ることぐらいは許されてよいものだ。」
「それでは孔子が魯に仕えたのは道を行う為ではなかったのですか。」
「道を行う為である。」
「道を行う為ならば、どうして狩り比べなどに参加したのでしょうか。」
「孔子は是認したのではなく、いきなり廃止するのは難しいと思い、先ず祭祀用の道具の数や供え物の量や種類を正しく定めた帳簿を作り、四方に産する得難い珍奇な食物を供えないようにした。そうして自然と狩り比べのような風習が無くなることを期待したのだ。」
「孔子は道が行われないのに、どうして魯を去らなかったのですか。」
「道を行える兆しがあるかどうかを見るためだ。その兆しはあったのだが、結局行われなかった。そこで去られたのである。だから孔子は一国に三年も滞在したことがなかったのだ。孔子には三種の仕え方があった。その君主が道を行えることを見極めて仕える見行可の仕え、その君主が礼を尽くして迎えてくれる場合に仕える際可の仕え、君主が賢者を養う礼をもって遇する場合に仕える公養の仕えである。魯の季桓子の場合は、見行可の仕えである。衛の靈公の場合は、際可の仕えである。衛の孝公の場合は、公養の仕えである。」

萬章問曰、敢問交際何心也。孟子曰、恭也。曰、卻之卻之為不恭、何哉。曰、尊者賜之、曰其所取之者、義乎、不義乎、而後受之。以是為不恭。故弗卻也。曰、請無以辭卻之、以心卻之、曰其取諸民之不義也、而以他辭無受、不可乎。曰、其交也以道、其接也以禮、斯孔子受之矣。萬章曰、今有禦人於國門之外者、其交也以道、其餽也以禮、斯可受禦與。曰、不可。康誥曰、殺越人于貨、閔不畏死。凡民罔不譈。是不待教而誅者也。殷受夏、周受殷、所不辭也。於今為烈。如之何其受之。曰、今之諸侯取之於民也、猶禦也。苟善其禮際矣、斯君子受之、敢問何說也。曰、子以為有王者作、將比今之諸侯而誅之乎、其教之不改而後誅之。夫謂非其有而取之者盜也、充類至義之盡也。孔子之仕於魯也、魯人獵較、孔子亦獵較。獵較猶可。而況受其賜乎。曰、然則孔子之仕也、非事道與。曰、事道也。事道奚獵較也。曰、孔子先簿正祭器、不以四方之食供簿正。曰、奚不去也。曰、為之兆也。兆足以行矣。而不行。而後去。是以未嘗有所終三年淹也。孔子有見行可之仕、有際可之仕、有公養之仕也。於季桓子、見行可之仕也。於衛靈公、際可之仕也。於衛孝公、公養之仕也。

萬章問いて曰く、「敢て問う、交際は何の心ぞや。」孟子曰く、「恭なり。」曰く、「之を卻くべきに、之を卻くるを不恭と為すは、何ぞや。」曰く、「尊者、之を賜うに、其の之を取る所の者は、義か、不義か、と曰いて、而る後に之を受く。是を以て不恭と為す。故に卻けざるなり。」曰く、「請う辭を以て之を卻くること無く、心を以て之を卻け、其の諸を民に取るの不義なるを曰いて、而して他辭を以て受くること無きは、不可ならんか。」曰く、「其の交わるや道を以てし、其の接するや禮を以てせば、斯ち孔子も之を受けたり。」萬章曰く、「今、人を國門の外に禦する者有りとせん、其の交わるや道を以てし、其の餽(おくる)るや禮を以てせば、斯ち禦を受く可きか。」曰く、「不可なり。康誥に曰く、『人を貨に殺越し、閔として死を畏れざる、凡民譈(うらむ)まざること罔し。』是れ教うるを待たずして誅する者なり。殷、夏を受け、周、殷を受け、辭せざる所なり。今に於て烈と為す。之を如何ぞ、其れ之を受けん。」曰く、「今の諸侯は、之を民に取る、猶ほ禦のごときなり。苟も其の禮際を善くせば、斯ち君子之を受るは、敢て問う何の說ぞや。」曰く、「子以為えらく、王者作る有らば、將に今の諸侯を比して之を誅せんか、其れ之を教え、改めずして而る後之を誅せんか、と。夫れ其の有に非ずじて之を取る者を盜と謂うは、類を充て義の盡くるに至るなり。孔子の魯に仕うるや、魯人、獵較すれば、孔子も亦た獵較せり。獵較すら猶ほ可なり。而るを況んや其の賜を受くるをや。」曰く、「然らば則ち孔子の仕うるや、道を事とするに非ざるか。」曰く、「道を事とするなり。」「道を事とせば、奚ぞ獵較するや。」曰く、「孔子は先づ祭器を簿正し、四方の食を以て簿正に供しめず。」曰く、「奚ぞ去らざるや。」曰く、「之が兆を為すなり。兆以て行うに足る。而るに行われず。而して後去る。是を以て未だ嘗て三年終うるまで淹(とどまる)る所有らざるなり。孔子には行可を見るの仕え有り、際可の仕え有り、公養の仕有り。季桓子は見行可の仕えなり。衛の靈公に於いては、際可の仕えなり。衛の孝公に於いては、公養の仕えなり。」

<語釈>
○「交際」、朱注:際は接なり、交際は、人、禮儀幣帛を以て、相交接するを謂うなり。○「禦人」、趙注:禦人とは、兵を以て人を塞ぎ、之が貨を奪う。強盗のこと。○「殺越人于貨」、朱注:「越」は顛越なり、人を殺して之を顛越し、因りて其の貨を取るを言う。人を切り倒して殺して財貨を奪うこと。○「閔」、閔然で、暗愚の貌、愚かなこと。○「譈」、音はタイ、朱注:「譈」は「怨」なり。○「殷受夏〜於今為烈」、この十四字は諸説あり、朱子は衍文とする。趙注は、三代相傳うるに此の法を以てし、辭問を須たず、今に於いて烈烈たる明法為り、と述べている。趙注を採用する。○「比」、朱注:「比」は連なり。片端から。○「充類至義之盡」、諸説あるようだが、服部宇之吉氏云う、一の事理を極端まで論じ詰めるを云う、苟も自分の所有にあらずして取るを盗なりと云いて、諸侯の財貨は皆民の物を盗みたる不義の財貨なりと云うは、余りに極端に論じ詰めたる議論なりとなり、と。この説を採用する。○「獵較」、安井息軒氏云う、獲る所の多寡を較べて、多く獲る者が少なく獲る者の禽を奪うなり、と。狩り比べ。獲物の数を競うこと。○「簿正祭器」、趙注:先づ簿書を為り、以て其の宗廟祭祀の器を正し、其の舊體に即う。○「見行可之仕」、朱注:「見行可」とは、其の道の行う可きを見る。○「際可之仕」、朱注:際可は、接遇するに禮を以てす。○「公養之仕」、朱注:公養は、国君の賢を養うの禮なり。

<解説>
この節は分かりづらい句が多い。故に通釈は、趙注、朱注を始めとして、安井息軒や服部宇之吉の説を参考にしながら、かなり拡大解釈をした。
前節では友と交わる心得が問題であったが、この節では交際の心得を説いている。これだけでは似たような命題に感じるが、この節の交際は、友との交際で無く、どちらかと言えば、尊貴な者との付き合い方、仕官の仕方について述べられている。

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