mixiユーザー(id:13658569)

2018年09月14日03:56

336 view

“不謹慎思考”の源泉。

この前にも、今回の地震による最初のルポとして一部触れたけど・・

実家の老いて来た母へ、停電に拠る物流の関係で食料品を主体に心配の電話を。
そのために近く車を走らせ向かおうか?というと、

「なぁ〜に!食べるもんぐらい何だっていうのさ。ちょっとぐらいの材料はあるし、
畑から適当に野菜でも取って幾らでも食べれるべさ。」
「乏しくなったって近所や友人などなんぼでも周りにいる、
何のための人付き合いしてるのさってことだべさ〜。」 と。

そらそうだ。
というか何のこっちゃないことだけど、実はとても重要で、それでいて
昨今の現代社会は、そのなんてこっちゃないことが出来てない、乏しいので
簡単に出来ないでいる・・ってことを気付かされたのね。
“じゃあ自分なら直ぐそれを出来るのか!?”という問いでもあるという。

それより痛烈に響いた一言。

「アンタね、母さん戦争体験してんだよ?あのひもじい時代を
ずっと過ごして来たんだ、停電したぐらいで何だっていうのさ!
あの時代電気もなきゃ満足に食べるものすらずっとなかったのに、工夫してここまで
生きてきたんだよ。それに比べりゃこれでも天国だべさ!
何ならそこら辺の草取ってでも食べれるっしょ。ワハハ〜!」

今更ながら、地獄をかいくぐって生き延びて来た人・・
自分の親だからってわけじゃなく、やっぱ「強い」。「偉大だ」。

横っちょにそれたけど・・

「不謹慎だ」とするのは、多く言われる所の「想像力」が欠けている、
拙速に頭が向いてしまう・・などの理由があるしそれはその通りなんだけど。

想像力ってのはその前提として「知見」「経験則」がなきゃ想像自体出来ないのよね。
この場合何も震災経験なんて特別なものはなくたって全然よく。
ざっくり「底辺程度」の生活経験とか、生い立ちの中で“どろんこ”で
遊んだ経験があるか・・っていうもの。

底辺・・というのは誤解を招きそうだけど、別に「貧困生活」ってわけじゃない。
最低限の状態で幾つかの場面を、一時的にも経験したことがあるか!?
っていうだけのことで。

簡単に言えば「上げ膳据え膳」の、お高くて「温室育ち」だった場合、
あるいはある種の「由緒正しきお家柄」のような環境で過ごして来た人。
そういう人ほど「不謹慎」のような発想になりがちなのね。

「サバイバー」というとちょっとオーバーだけど、「人生」という
これまた大袈裟な言い方にすれば、まあサバイバーな場面を何某か経験、
僅かでも経験値としてある限り、想像力も比例して備わるもの。

その下地があるのかないのか、そこが分岐点でしょう。

で、不謹慎のような発想・・。
これ、日本的な風情でもあるのだけど、まさにこれが俗にいう
「日本の伝統感」ってやつ。

こんなもん実は伝統でも何でもない・・というか、伝統なんて殆どが
「虚構」だったりするのね。よ〜く紐解いていくと、ある属性達による、
自分達にとって都合がいいようにするための「捏造」や「拡大/曲解」。
日本人の奥ゆかしさとか勤勉さ、礼儀正しさとかいう。
こういうのが変質、変質させて伝統様式みたいなものへ勝手にフォーマットさせている。

それをまた一部がバカ正直に踏襲するもんだから、ある属性は益々「利用する」。
よ〜く考えてみればいい。そのような主義や言説を毎度唱える連中が、
今や相当幅を利かせているってことを。

曽野綾子だとか、櫻井よしこだとか。わかりますわな、どういう連中か。
あら!?そんなもんじゃない、ごまんといるわよね!
教科書を作る会だの、日本会議だの・・あらやだ!それって今の政府じゃん!
安倍晋三君じゃん!麻生太郎君じゃん!自民党じゃん!!

そう。この時代にあって尚も“江戸しぐさ”みたいなものまで含んだ末の、
不謹慎だのというその源泉ってのは、何てこっちゃないこやつらの私腹を肥やす・・
こやつらの仕業なんですよ。こやつらの手玉に乗ってるんですよ。

なので、不謹慎を口にする者への批判をせっかくするなら、
大元からちゃんと批判し対峙せんとね、気がついたら「国家から不謹慎だ!」
と言われるばかりか、下手すりゃ獄中入りの世の中が
もうすぐそこまで来てますよ、っと。。。。

震災直後にバーベキュー?「こんな時に」ではなく「こんな時だからこそ」のワケ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=159&from=diary&id=5287397
5 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する