mixiユーザー(id:17119814)

2018年09月12日08:41

163 view

私的サッカー史(46)

ドーハの悲劇から4年、フランス大会のアジア予選。ここで特筆すべきは前回のアメリカ
大会と大きく変わった点があることだ。アメリカ大会までは本大会出場国は24だったの
が、フランス大会から32となり8カ国も増えた。これに対応する形としてアジアの出場
枠もアメリカの時の「2」から「3.5」に増えたのである

3.5ってどういうこっちゃ?これはアジアは3位までは出場決定。4位になったチーム
はオセアニア1位と「大陸間プレーオフ」を戦い勝った方が出場決定、という仕組みだっ
たからである。アジアはしかし最終予選の方式でも揉めに揉めた

当初は前回同様特定の国に集まって行うセントラル方式の予定だったが、その開催地で揉
めたのだ。日本や韓国など東アジアの国はマレーシア開催を主張、サウジやイランなど中
東の国はバーレーン開催を主張して折り合いがつかなかった。そこで7月のFIFA総会
でヨーロッパなどと同じホーム&アウェイ方式に決着した

そうなると国の数が1グループでやるには多すぎるので、2つのグループに分けた。A組
はサウジ、イラン、カタール、クウェート、中国。B組には日本、韓国、UAE、ウズベ
キスタン、カザフスタン。各組の1位は文句なしに出場決定、2位同士で3位決定戦を行
い勝った方は出場決定、負けた方がオセアニアとの大陸間プレーオフへ向かう

まあ紆余曲折はあったにせよ間違いなく言えることは、アメリカ大会に比べて大幅に出場
を勝ち取りやすくなったということである。日本の入ったB組は難敵とすれば何と言って
も韓国だが、他はそれほどでもなく少なくとも2位までには入れそうである。しかしA組
はサウジ、イランのどちらかが1位2位になる。これはまず間違いない。どっちも日本に
とってはキツイ相手だった。さらにオセアニア1位は絶対確実にオーストラリア。これも
また日本にとってはかなりの難敵と思われた。そうそう簡単でも無いのである

0 1

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する