何かが狂ってる…。
そんな作風の絵画や小説が面白かった十代二十代の頃。
模倣しても模倣しても追いつかないのは、私に才能が無かったからだ。
アウトサイダーアートなその種の狂気はわりと日常の随所にありふれていて、気が付いてしまった場合には見て見ぬふりしてやり過ごしてしまえば良いのに、それでも何十年もかけて理想の宮殿を一人で建築しちゃった男とか、語りだすと何を言っているのか分からなくてただ怖いだけの人とか、何だか凄く難しい話を文字に起こしたらイカれ狂ってコマ割りのセンスが学級新聞だったり…。
だけど、理想宮を作る熱意を作家が誰か個人に向けてしまえば、後はもう誰もが離れて行く。
その才能と呼ばれるものが狂気だった場合の事を考えれば、作品を仕上げる独力が恐怖そのものだろう。
モデルを目の前にしてイーゼルに立て掛けたキャンバスに人物画を描いた時のこと、仕上がった絵はモデルに似ているようで似ていない、モデル本人からしてみたら
(これが私…?、どう見てもぜんぜん違う人だけど?)
って出来になりがちだ。
しかしそれとも訳が違うアウトサイダーアートの激しい違和感は、作者の見ている対象がそもそも現実ではないからだ。
目の前にモデルを置いて書いている訳では無いのだから、書かれているのが『誰か?』なんて事は口にするだけ野暮天だろう。
定年退職する先生に、記念に先生をモデルにして描いた水彩画を送ったことがある。
定年まであと2年を残すところで知り合った先生を描いたその絵は、誰がモデルか一目で判ると言うのにどうした訳だか先生が40歳位に見える絵に仕上がった…。
あれは時間軸が狂ってたのかも知れない…。
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