大津プリンスホテル、比叡山延暦寺、日吉大社、近江神宮、琵琶湖バレイ、近江舞子、マキノ、彦根城。過去に行った場所以外を今回フューチャリングして、一泊二日で近江国・琵琶湖を(ほぼ)一周する旅の始まり。
【高島市】
近江高島。
琵琶湖沿いを走る国道161号線と爽快な空の湖のブルー。
『白鬚神社(しらひげじんじゃ)』。
国史見在社で、旧社格は県社。全国にある白鬚神社の総本社。
明治12年(1879年)の造営の拝殿。
社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建で、近江最古の大社と言われている。
シンボルとなっている鳥居⛩弘安3年(1280年)の絵図では陸上に描かれているが、その後の琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝える。
現在の鳥居は昭和56年(1981年)再建のもの。
SNSでも有名なフォトジェニックスポット。
慶長年間(1596年-1615年)には豊臣秀頼によって境内の整備が行われ、慶安元年(1648年)には朱印地として100石を受け、のちには189石余となった。
慶長8年(1603年)の造営の本殿。祭神は「猿田彦命(さるたひこのみこと)」。
慶長期造営の「若宮神社」社殿。
旧拝殿の絵馬殿。
古墳の石室前に祠が建てられ、天岩戸として祀られている「岩戸社」と「磐座」。
〈御朱印〉
『日吉神社』。
真宗大谷派・琶湖山『最勝寺(さいしょうじ)』。
本尊は阿弥陀如来。開基は文明3年(1471年)であり、湖西の古刹。
田舎道。
嗚呼、癒し。
【長浜市】
高島から北にある近江今津へ。
『竹生島(ちくぶじま)』行きのフェリー乗り場。
船に乗る前にランチ
『竹生島クルーズ』で琵琶湖北部に浮かぶ周囲2kmの小さな無人島『竹生島』へ。葛籠尾崎(つづらおざき)の南約2kmに位置し、琵琶湖では沖島に次いで大きい島。
30分弱の船旅へ🛥
島周辺の湖底は深く、西側付近は琵琶湖最深部(104.1m)である。
北側の対岸である葛籠尾崎の沿岸や竹生島との間には湖底遺跡(葛籠尾崎湖底遺跡)があり、湖底から縄文時代から中世まで幅広い時代の土師器・須恵器や土器約140点が、ほぼ原形をとどめたまま引き揚げられている。このような遺跡は世界でも類がなく、沈積原因は今なお大きな謎に包まれている。
竹生島に上陸🛥
古来、信仰の対象となった島で「神の棲む島」とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる。
針葉樹で覆われた中に寺社が点在する風景の美しさで古来知られ、琵琶湖八景にも選ばれている。
土産屋には佃煮、よもぎ饅頭、煎餅、珍しい赤こんにゃくなど、琵琶湖周辺の様々な特産品が並ぶ
現在は『宝厳寺』と『都久夫須麻神社』という「寺」と「神社」に分かれているが、元々はこのように区別されることなく、一体化していた。
真言宗豊山派・巌金山『宝厳寺(ほうごんじ)』。
西国三十三所観音霊場の第三十番札所として多くの人が訪れる。
長い階段は「祈りの階段」と呼ばれ、165段ある。
「石造五重塔」は全国でも珍しい、現存する鎌倉時代の石塔。比叡山から採掘される小松石でつくられた石造りの五層の仏塔で、地・水・火・風・空の五大をかたどったものといわれている。初層には四方仏が彫られている。重要文化財に指定。
本堂(弁才天堂)。昭和17年(1942年)に平安時代様式で新築されたもの。
本尊は日本三弁才天のひとつである弁才天で、日本三弁才天(残りは広島の厳島神社、神奈川の江島神社)の中でも最も古いことから”大”の字をつけ「大弁才天」と称さている。
神亀元年(724年)、聖武天皇の夢枕に立った天照皇大神のお告げにより、行基に開基させたのが始まり。
行基は早速弁才天像(大弁才天)を彫刻し、ご本尊として本堂に安置。翌年には観音堂を建立し、千手観音像を安置。それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師や弘法大師なども来島・修業されたと伝えられている。
豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されている。慶長七年(1602年)には、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させている。
願い事を書いて奉納すると願いが叶うといわれる「弁天様の幸せ願いダルマ」。
〈御朱印〉
朱色が鮮やかに映える三重塔は、お釈迦様の位牌を納めた仏舎利塔を形どったもの。江戸時代の火事で消失し、平成12年(2000年)に350年前の姿で復元。
各柱のボタン唐草模様や建物の造りは本格的で立派な様相。四本柱に32体の天部の神々を描き、四方の壁には真言宗の八人の高祖を配している。
11世紀の作品である「法華経序品(国宝)」や、弘法大師直筆「御請来目録表(重要文化財)」をはじめ、当山に伝わる数々の寺宝が収蔵されている宝物殿。
樹齢約400年・豊臣家ゆかりの木「もちの木」。
「唐門」(国宝)は豊臣秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で、現存する唯一の大阪城遺構。残念ながら修理中。
そしてその奥にある「観音堂」。西国三十三所観音霊場第三十番札所で、本尊の秘仏「千手観音立像」(鎌倉時代)を安置する。「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」の頭を撫でると悪い病を払ってくれると言われている。
観音堂は傾斜地に建つため、床下に長い柱を立てて支える懸造となっている。
この「舟廊下(渡廊)」は、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みを利用して建てられたと言われている。奥に進むと都久夫須麻神社が見えてくる。
『都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)』。
本殿(国宝)は伏見城または豊国廟から移築したという装飾性の豊かな桃山建築であるが、建物中心部の身舎と周辺部の庇とは本来別個の建物であり、建立年代の異なる2つの建物を合体して1棟としたもの。庇と向拝の部分は永禄10年(1567年)再建、身舎部分は慶長7年(1602年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として改造したもの。
式内社で、旧社格は県社。祭神は「市杵島比売命」「宇賀福神」「浅井比売命」の3柱。社伝では、雄略天皇3年に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが始まり。
琵琶湖を望む断崖上にある「竜神拝所」では「かわらけ投げ」が有名で、丸い小さなお皿に自分の名前と願いを書いて、「宮崎鳥居」に向かって投げると願い事が成就すると伝わっている。
鳥居のまわりはかわらけ投げの白いお皿でいっぱいで、それらに太陽の光が降りそそぎ、雪景色のようにも見えるという。竹生島の中で一番の絶景と評される。
戦国期には近江国小谷城主であった浅井久政が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。琵琶湖沿岸を本拠地とした織田信長が参詣したことが記録されている。
島には安土桃山時代の国宝や重要文化財が数多く残されている。
大河ドラマや映画の舞台になっている他、パワースポットとしても人気を集めている。
土産屋で近江牛まんを食す。
うん、何かが違う!気がする。
再び船に乗り。
今津には戻らず、逆の湖東側へ。
秀吉が最初に築いた居城であり、秀吉の城下町経営の基礎を醸成した『長浜城』
天正元年(1573年)に豊臣秀吉が浅井長政攻めの功で織田信長から浅井氏の旧領を拝領した際に、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し、長浜に改名した。同3〜4年頃完成し入城。
本能寺の変後、清洲会議で長浜の支配権を獲得した柴田勝家の甥・柴田勝豊が長浜城の守将として入城するが、同年末には勝家と対立した秀吉に攻められ、勝豊は城ごと降伏。天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城するが、天正13年(1586年)の天正地震により城が全壊。慶長11年(1606年)に内藤信成・信正が城主になるが、大坂の陣後の元和元年(1615年)に内藤氏は摂津高槻に移封され、長浜城は廃城になった。現在の天守は1983年に犬山城や伏見城をモデルにし模擬復元されたもの。
滋賀県長浜市を走る北国街道沿いの一角にある『黒壁スクエア』。
伝統的建造物群を生かした観光スポットで、黒漆喰の和風建築である「黒壁1號館」から「黒壁30號館」までの総称。
明治時代から黒壁銀行の愛称で親しまれた古い銀行を改装した「黒壁ガラス館」を中心に、江戸時代から明治時代の和風建造物の連続性が高い情緒ある町並みと、その古建築を活用した美術館、ギャラリー、ガラス工房等の文化施設、レストラン、カフェ等の魅力あふれる店が点在。
『忠太郎』の『近江牛 焼き牛丼』と『近江牛 焼肉丼ぶり』🥓
認定近江牛使用。当店はブロック肉を自店で仕込み、脂・筋を最小限にカットして、柔らかさとお値打価格を実現。
綺麗に一枚一枚重ねられた薄切りのお肉はしっとりと柔らか。甘辛のタレの味にも負けず、しっかりした肉の味わい。
レトロな雰囲気漂う。
日本最大のガラス芸術の展示エリアとして知られ、年間約300万人の観光客が訪れる湖北随一の観光スポット。
町おこしの成功例として有名な場所で、日本各地から視察が絶えない。400年の伝統に支えられた寂れた商店街と古い住宅街が、今や湖北最大の観光スポットへと変貌を遂げている。
黒壁スクエアの奥にある、真宗大谷派・無礙智山『真宗大谷派長浜別院大通寺(しんしゅうおおたにはながはまべついんだいつうじ)』。
京都の「真宗本廟(東本願寺)」を本山と仰ぐ、同派の別院。本尊は「阿弥陀如来」。
湖北の中心道場であった総坊を前身とし、慶長7年(1602年)に本願寺第十二代教如を開基として長浜城跡に創建。慶安4年(1652年)に現在地に移転。
伏見城の遺構とされる本堂や大広間などの建築物や、含山軒庭園と蘭亭庭園という2つの庭園のほか、円山応挙や狩野山楽・狩野山雪らの障壁画など貴重な文化財を多数保有する。
【彦根市】
日が暮れ、長浜の南にある彦根へ。
『近江ちゃんぽん』専門店『ちゃんぽん亭総本家』。創業昭和38年の本店は近江ちゃんぽん発祥店。
スープは京風だしをアレンジした和風醤油で、具はシンプルに豚肉と野菜だけ。麺は一般のちゃんぽん麺ではなく、かんすいを使った中華麺を使用。調理方法も中華鍋で炒めるのではなく、手鍋で煮込んでいる。それが「近江ちゃんぽん」。
黄金だしとたっぷりの野菜。あっさりだが深みのある、優しく滋味豊かな味わい。酢を加えると旨みとまろやかさが増し、より深みのある味わいに変化。
一度食べたらやみつきになる彦根のソウルフード!
スーパー銭湯『極楽湯』発見
温泉でさっぱり。
『ホテルレイクランド彦根』にチェックイン
長浜市にある創業1951年の「つるやパン」名物・『サラダパン』をホテルで食す。
マヨネーズで和えた刻みたくあんのペーストをコッペパンに挟んでいる。滋賀県民なら誰もが知ってる名物パン。
こ、これは……ノーコメント。
【近江八幡市】
次の日の朝。彦根から南へ。
1872年に近江八幡で創業して以来、140年余の歴史を歩んできた老舗和菓子舗「たねや」。和菓子の「たねや」、洋菓子のCLUB HARIEを展開するたねやグループが、自然豊かな近江八幡の地でスタートさせたフラッグシップ店『ラ コリーナ 近江八幡』
ラ コリーナ近江八幡の「メインショップ」。建築家・藤森照信氏が設計した美しい「草屋根」は、屋根一面が芝で覆われた店舗。
1階はたねやの全商品を取り揃える和菓子売場や、職人が目の前でお菓子を仕上げる「できたて工房」も併設。 洋菓子売場は、クラブハリエ最大のバームクーヘン専門店。クッキー生地にバームクーヘンを練りこんだ「バームサブレ」、レーズン入りのバタークリームを挟んだ「バームサンド」など、バリエーション豊富な商品が揃う。また、2階のカフェでは焼きたてバームクーヘンが味わえる。
クラブハリエバームクーヘンの美味しさの秘密は、厳選した素材で作った生地と焼き方。ちょっとした気温や湿度の変化で焼き上がりに違いが出てしまう。そこを見極めるのが職人の技。一人前になるまでに3〜5年かかるとのこと。
クラブハリエの「焼きたてバームクーヘン」セットメニュー。バームクーヘンと相性抜群の「バームコーヒー」は、芳醇な香りとやさしいコク、酸味と甘さがバランスよく調和した味わい深いコーヒー。バームクーヘンのバターや卵の香りを一層美味しく引き立てる。香りも良く、自然の優しいコクを活かしたブレンドとのこと
ほのかに温かいしっとりとした最高峰のバームクーヘン。ちなみに食べログ評価は3.6点。
メインショップ奥の扉を開けて外に出ると、美しい自然の絨毯が広がり、緑豊かな景色が目に飛び込んでくる。ラ コリーナの敷地内には田んぼや棚田、畑があり、そこでお米や野菜などさまざまな作物を作っている
八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、ホタル舞う小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑を耕している。このような環境の中に、和・洋菓子のメインショップをはじめ、たねや農藝、本社、ツアー、フードコート、ギフトショップなどがあり、自然の中でスイーツが楽しめる。
“自然と共生する農業”を目指して野菜や果物づくりに取り組む「北之庄茶園」、3万株もの山野草を育てる「愛四季苑(はしきえん)」、敷地内の植栽やランドスケープ全体の手入れをする「ラ コリーナ近江八幡造園」からなる「たねや農藝」は、ラ コリーナ近江八幡が一番大切にしている“農”を実践した場所
「ラ コリーナツアー」では、普段は入ることのできないたねやグループ本社“銅屋根”の最上階にある「藤森ミュージアム」や展望室を観覧することも可能。有名建築家が手掛けた素晴らしい建物や施設、ここでしか見ることのできない貴重なアイテムの数々が展示されており、建築ファンにはたまらない空間。ラ コリーナ近江八幡の随所にこめられた思いやこだわりなど、たねやグループをより深く知ることができるガイドツアー。
三代目山本徳次が精魂こめて極めたたねや自慢のカステラと、店舗限定でふわふわ生地が特徴の「八幡カステラ」を存分に味える「カステラショップ 栗百本」などもある。併設のカフェではカステラの他に、カステラと同じ新鮮な卵を使ったオムライスも頂ける。
新しくオープンした「フードガレージ」の「ギフトショップ」。半円形のガレージにはロンドンバスをシンボルに、「シトロエン・Hトラック」「フィアット500」などを展示し、子供も大人も楽しめるこれまでにない空間を演出している。
また、フードコートではシチリアのライスコロッケや、たねやが表現した「アランチーノ」、ホットドッグのショップ、カフェやパンショップなど、食にまつわる様々なお店が集結。
「クラブハリエKIDS」の商品をはじめ、リーフパイ、季節のマカロン、コンフィテュール、ジャムなど、魅力的な商品を販売している。ギフトショップでしか購入できない限定商品もあり。
自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。
駅前にあるラーメン屋『だるま八』で休憩
【犬上郡多賀町】
『キリンビバレッジ 滋賀工場』の工場見学『午後の紅茶ツアー』。見学施設『キリン滋賀 おいしさ体感ファクトリー』
4年連続過去最高販売数量を記録した「キリン 午後の紅茶」ブランドや、「キリン 世界のキッチンから ソルティライチ」などの貢献により、2013年は清涼飲料業界を上回る前年比106%で着地。2年連続で業界平均を上回るなど、販売量が上昇基調にあり、今後も強いブランドを育成しさらなる成長を図っていくために、2014年1月に2つのペットボトル商品製造ラインを持つ西日本の清涼飲料生産拠点としてキリンビバレッジ滋賀工場を設立。キリンビバレッジ滋賀工場は、年間合計1,700万ケースのペットボトル商品を製造する当社の西日本の生産拠点。
キリンビバレッジを代表する商品ブランド「キリン 午後の紅茶」のおいしさの秘密を体感できるツアー。工場までガイド付のバスで移動し、「午後の紅茶」のシンボルマークであるベッドフォード公爵夫人の絵画が動く不思議な部屋「アンナ・マリアの部屋」、「午後の紅茶」の主な茶葉産地である「スリランカの茶葉体験」、ペットボトル目線で製造工程を紹介する「ひみつのシアター」、ペットボトルが膨らむ様子を体感できる透明の金型を使った「ペットボトル成形機」、そして巨大な製造ラインを一望した後は記念の工場スタンプを印字する「印字機体験」が楽しめる。
工場見学の後は、紅茶やビール(お菓子付)などが飲み放題で試飲できる
工場から歩くこと約30分。お土産屋が並ぶ多賀大社の参道へ。
『多賀大社(たがたいしゃ)』。
式内社で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁の別表神社。
境内正面にある石造りの太鼓橋は「太閤橋」の雅名でも呼ばれる。寛永15年(1638年)造営。
お守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来となっている。
創建は古事記以前の神代と考えられる古社。
摂社の「金咲稲荷神社」。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で賑わった。
〈拝殿〉
多賀社は特に長寿祈願の神として信仰された。天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。
祭神は「伊邪那岐命」と「伊邪那美命」。
〈本殿〉
本殿から少し離れた、静かな場所にある摂社「日向神社」。
〈御朱印〉
さよなら近江国。
〈一の鳥居〉
楽しかったね♪
クラブハリエのお土産ウマー( ^ω^ )
歴史の町・滋賀を堪能したところで、次は河口湖辺りに富士を観に行こう
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