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2018年06月29日01:17

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SМと差別といじめと、その5

 マニアたちのパレード、マニアたちのフェスティバル。筆者はそうしたものが嫌いなのだ。嫌う理由はかんたんだ。それは筆者が根暗だからなのだ。明るく楽しい場所には出て行きたくないのだ。皆で楽しく騒げるぐらいなら、ニコニコとしながら交流を楽しめるぐらいなら、筆者はマニアになどならなかったのだ。暗くじめじめしたところにいて、明るい場所で楽しくしている人たちを意味もなく恨みがましい目で見つめ、にこやかに笑う人たちを僻んで見つめているのが筆者なのだ。
 たかがエロの、しかもマニア雑誌の編集者である筆者が社会問題について何か言うつもりなどない。そんなつもりはないのだが、この問題は、何も性的なマイノリティだけの問題ではないように思う。
 これは小説のような話になってしまうが、たとえば、褌愛好者は今の日本ではマイノリティである。別に褌は悪いものではないので、それでいいのだが、もし、褌がワイセツな下着だったと仮定しよう。褌は法律でその販売が禁止された。使用までは禁止されていないが、当然だが、使用しているのを他人に見せることは禁止されている。あの夏祭りの雄姿も、今は卑猥な世の中になった。
 そこで、褌愛好者たちは、褌は健全な姿。褌から露出した尻にはワイセツさはないと主張するようになった。それを世にアピールするために、神輿を出し、男も女も褌をしてパレードすることになった。ようするにデモ行進なのだ。わっしょいというシュプレヒコールなのだ。
 ここまでは、まあ、話は奇想天外だが、別に行為としては悪くないように思われる。しかし、筆者はここで、もう一つの物語りを想像してしまうのだ。
 密かに褌を愛用していたい人たちはどうすればいいのか。
 褌解放同盟が出来た。褌解放同盟は、ある褌製作者に、お前もパレードに参加し、褌祭りでは、お前の褌を販売しろと言って来た。それを断ると、お前は真の褌愛好者ではない、と、攻撃されることになる。お前のようなヤツがいるから俺たちのような褌愛好者まで暗くてワイセツだと思われるのだと言われてしまう。他の褌愛好者たちに宣伝され、彼の作った褌は買わないと皆が言うようになった。彼は貧乏になり、もう、褌は作れなくなり、自分の褌を作るサラシさえ買えないまま、彼はついにパンツを穿くのだ。
 さて、こうなるとどうだろうか。
 少数派として差別されていた褌愛好者がパレードやフェスティバルに参加しない褌愛好者を少数派として差別したことにはならないだろうか。
 主張すること、明るいこと、表に出ることは良いことだとされている。その結果として、主張出来ない人、暗い人、表に出ることが苦手な人が少数派として差別されていないだろうか。
 大きな舞台でスポットを浴びることが出来ない者が、暗く小さな地下室の数人の前でようやくスポットを浴びているのを、どうして批難出来ようか。ようやく見つけた自分が主役でいられる小さな空間と短い時間、それまでバカにして取り上げようとする人たちがいる。その人たちにはどうしてそんな権利があるのだろうか。
 明るい場所で声を出せることはそれほどまでに価値のあることで、暗い場所でしか声を出せない人は、それほどまでに蔑まれなければならないものなのだろうか。もしかしたら、少数派がさらに少数派を作ってそれを蔑み、自らを安心させたいという、いじめの心理がそこに働いているのではないだろうか。
 近年は、マニア世界も明るい場所に出て来た。しかし、その一方で暗いままにマニアでいられる場所は少なくなった。最近では暗いマニアはダメだとさえ言われてしまう。どこかおかしくないだろうか。
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