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2018年06月05日22:09

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『石牟礼道子』(池澤夏樹個人編集・日本文学全集24)を読んでみた。

石牟礼道子 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集24)
http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=18627182&id=3409980

<以下、レビューページより転載>

池澤夏樹個人編集の日本文学全集。自身、シリーズ12冊目を読了。
当初は、「近現代の作家の巻は読まない」つもりだったのだけれど、自己の経験(熊野地方への旅行)から興味が再燃した中上健次の巻に続いて、マイミクさんの紹介から興味を持った石牟礼道子の巻も、「この際ついでだから(?)」と思って手に取ってみたm(__)m
したら、琴線に触れるところが多く、読んでみてよかった! と。

有名な『苦海浄土』のタイトルくらいは知っていたが、実は今回が全くの「石牟礼作品初体験」である。。

『椿の海の記』『水はみどろの宮』という2本の中編(長編?)小説と、『西南役伝説』は抄録、あと、詩が何篇か、それから、短編の『タデ子の記』と、新作能『不知火』という作品たちが、収録されていた。

著者自身が4歳だった頃を振り返りつつ書かれた『椿の海の記』は、しかし、自伝的な要素よりも小説的な色合いの方を強く感じた。
実際に体験したエピソードもあるのだろうが、高度に小説的・物語的な演出がなされてる、と。
でも、それでいて、というか、それだからこそ(?)、読者にも「自分が4歳だった頃の記憶の断片」を呼び覚まさせる力に満ちた、凄い作品だったと思う。実際、読んでいて、自身の幼少期の様々な記憶の断片が脳裡をよぎった。
その一方で、当時(戦前・戦中の頃)のこの地方(熊本の水俣や天草ら辺)の食料の保存方法や農作業の仕方など生活の知恵、近所づきあいや女郎屋との距離感など町(地方コミュニティ)の様子といった、民俗学的な見地から読んでも、この作品は十分楽しめると思った。
あと、個人的に古い石造物に興味がある自分としては、著者の祖父や父(特に石工仲間から「神」の如く見られていたという祖父)がこの地方で様々な石造物の工事に携わってるらしいと知って、いつか水俣ら辺りに旅行に行った時、石工銘に「白石松太郎」と彫られた狛犬に出会う機会もありはすまいか? みたいな妄想をしながら読むのも楽しかった♪
この物語の重要人物は、祖父よりも、精神を患った祖母の方なのは確かだが、そういうわけで、わしは祖父の方に興味を覚えたのだったm(__)m

『椿の海の記』よりもずっとファンタジー色の強かった『水はみどろの宮』も、面白く読めた。
個人的に、あまりファンタジーファンタジーした作品は好みではないのだが、本作のように、背後にしっかりとその土地の文化や歴史、ある種のリアリティが感じられるものには好感を覚える。
猫のノンや山犬のらん、白狐のごんの守といった、主要登場動物たちがまた魅力的で好かった♪

『椿の海の記』を読んいる最中も感じたことだが、『西南役伝説』、取り分けその中の『六道御前』を読んでいて思ったのは、民俗学者・宮本常一の著作、たとえば『土佐源氏』なんかとの類似である(宮本作品にも、池澤夏樹の日本文学全集で初めて出会い、その後、『日本残酷物語』全5巻などを読了した)。
方言による語りの文が、地の文になっているところ。それから、著者が土地の人にしたインタヴューがもとになっているところ。その辺りが基本的な類似点だろうが、しかし、巻末の解説には、石牟礼道子が「この作品はノンフィクションじゃないから」という理由で、『苦海浄土』の大宅壮一ノンフィクション賞の受賞を辞退したというエピソードが紹介されている。一方で、宮本常一は『土佐源氏』を「これにはフィクションが混じってるんじゃないんですか?」と人に言われて激怒したというエピソードを聞いたことがある。
同じ「事実」をベースに、似たような印象の文章を紡ぎながらも、片や小説家・作家として《作品》を世に出した石牟礼と、あくまで学者たらんとした宮本。
二人の立ち位置・スタンスの違いを考えて、面白いなあと思ったりもした。
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