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2018年05月24日15:44

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中国王朝史22 隋唐時代から五代十国時代へ

≪年表11≫隋唐まとめ

581年 南北朝時代の「北周」の楊堅(文帝)が禅譲を受け「隋」を建国
589年 「隋」が南朝の「陳」を滅ぼし、405年ぶりに中華統一
     ※「西晋」の統一崩壊からは273年ぶり
604年 「隋」の二代皇帝・煬帝が即位
618年 “失政を繰り返した”煬帝が死去
     その後、色々あったが煬帝の従兄弟で部将の李淵が台頭
619年 その色々の一つで、李淵(唐の高祖)が「唐」を建国
〜    李淵の子・李世民(太宗)が残存勢力を一掃
626年 皇太子の兄を殺害して李世民(太宗)が即位
〜    以降、太祖の治世を「貞観の治」という
     世界最大の帝国となり、西域経営を行った
660年 新羅と連合した上で百済を滅ぼす
663年 白村江の戦いで日本と交戦し打ち破る
668年 高句麗を滅ぼす
690年 三代皇帝・高宗の后、武后(則天武后)が国家簒奪し「周(武周)」の国号を名乗る
705年 則天武后が死去。
      一度は退位させられていた「唐」の中宗が即位し、国号を取り戻す
712年 玄宗が即位、以降「開元の治」と呼ぶ
751年 アッバース朝との「タラス河畔の戦い」に敗れ、国勢衰退を始める
755年 玄宗の寵姫・楊貴妃が引き立てた節度使・安禄山が反乱「安史の乱」
      長安を奪って「大燕」の国号を名乗る
763年 安史の乱が平定され、いよいよ衰退の一途を辿る
874年 多くの内乱が起き、「黄巣の乱」が発生する
894年 日本からの遣唐使が廃止される
907年 「唐」に降っていた黄巣の部下・朱全忠が禅譲を受け「後梁」を建国
     「唐」が滅亡する

●五代十国時代へ

874年に発生した「黄巣の乱」は全国的な内乱に拡大し、
弱体化しゆく「唐」王朝に決定的なダメージを与えた。
首班の黄巣は、一時期は長安を制圧するなどし、
皇帝位も名乗ったがこれを維持できず、国は乱れに乱れる結果となった。
この乱は10年ののち鎮まったが、
その内の黄巣の部下であった「朱全忠」は一度は「唐」に帰順したが、
今度は内部から実質の権力を掌握していく。

朱全忠は都を自分の勢力下の開封に移したうえで
907年「唐」の哀帝から禅譲を受け(これも国家簒奪)、
「後梁」を打ち立てた。これにより「唐」王朝は滅亡と相成った。
しかし、その「後梁」も
朱全忠の失政や五代の一国である「後唐」の苛烈な攻撃などにより
衰退し滅亡してしまった。
こうして中国大陸は再び分裂状態となったのである。
この期間(907〜960年)を五代十国時代と呼び、
その後「北宋」が中華統一を果たす(979年)まで、
中国本土は複数の王朝が割拠する事態となった。





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